続き
前から、たまーーに思い出して、
なーんとなく思ってはいたが、
「心のふるさと」のひとつ、くらいの気持ちになる映画
だ、と今回書いていて、あらためて思った。
映画のような人工物が
「心のふるさと」の一部をなしている、
とまで思う時は、よく振り返ってみるのは
いいことかもしれない。
川とちがって、映画は人の気持ちだとか、
考え方が入っている。
たとえば
「あのじいさま/お兄さんは、⚪︎⚪︎の先祖なのよ」
というように、なんらかの、実際の人物との繋がり
を説明されたりしたら、
僕ならガチで信じていた可能性が大である。
子供のころに見ると、なんでも影響大なのではないか。
僕が水の旅人から受け取った影響は、
川をキレイに、というくらいである。
映画を作った人がどのように考えて作ったのかは
わからないけど、
結果的にはそれほどよくない影響が
あったとは、思っていない。
今回、あえて『水の旅人 侍KIDS』の場面の画像などを見ず、
自分の覚えていることを元に考えてみた。
映画をもう一度見て、
文化や歴史についてもっとよく学んでから考えると、
またちがったことが見えて来るのかもしれない。
見返してみて、水の旅人が
なんか「ミョーな」、トクシュな考えにもとづいて
作られた映画だったりしたら、
なんかイヤだなあ、
だからそのままにしておきたいなあとも思う。
心のふるさとはそのままにしときたい、みたいな。
子供の時に見た映画が自分の中に、
今でも、このようにあるとは意識しなかった。
書き出してみてみるものだなと思った。