内田樹さんは『他者と死者』で、

フッサールという哲学者の「エポケー」という言葉について

書いておられた。曰く、

 

船で海に出ている船長が、

沖で海の上になにかが光っているのを見た。

あの光はなんだろう、

わからない。

なんなのだろうか。

 

しかしそこで船長は、

日誌に、〇〇日、××時に、△△の辺りの海域を航行中、

♢♢の方角にこのような光を見た、

と書き込む。

 

そこに留め、あの光がなんなのか断定するのを、一旦置く。

そのような、ものごとに対する態度、姿勢を、フッサールは

エポケーと呼ぶ……

 

 

…というような話が、内田さんの語る「エポケー」であったと

記憶している。

 

 

僕だったら、

〇〇日、××時に、△△の辺りの海域を航行中、

♢♢の方角にこのような光を見た!

あれは幽霊船にちがいない!

あの時沖に出て、帰って来なかった☆☆号だろうか…。

 

とか書き込む、多分。

そう書き込んでも、その後展開するオカルト的思考について

書き込んでも、それを人に見せることがなければ、

とりあえずは無害である。

 

 

…僕が高校のころ、書道の授業を受け持ってくれていた

先生は、雅号を「無涯」と仰った。

 

「涯(はて)が無い」

 

という意味だ。

 

妄想も無涯だが、人に言わなければ無害である。

 

…または妄想にもとづいて行動しなければ。