昨日は友達のまさきが亡くなって
7年目の日であった。
毎年命日には、うちの一家でまさきの家に
お詣りに行く。
そしておばちゃんはいつもごはんを用意してくれて、
みんなでお酒飲みながらいろいろ話す。
最近のこととかまさきのこととか。
まさきは小学校からタバコを吸っていたが、
僕が言うまでおばちゃんたちは知らなかった。
小学校の時に、
どこどこのトイレにタバコの吸い殻が
捨ててありました!
と言って問題になって
全校集会になったことがあった(笑)
ずっと後になって、まさきは
「ああ、あれおれ、はっはっはっ」
と笑っていた。
僕がまさきのことを話すと、
「そがんことがあったんね!」
と言われる。
ああ、おじちゃんおばちゃんも、知らん面が
あったんだな、と思う。
まさきは中学の頃は僕と同じバスケ部だったが、
高校からは空手を始めた。
僕は高校でもバスケ部に入ったが、
4ヶ月くらいで辞めてしまった。
僕が部活を辞めて、家で本読んだりしていると、
まさきが来て、お前家でそんなことばっかり
しとったらネクラになるばい
と言ってよく外へ連れ出されていた。
僕たちは高校はちがったが、まさきは
空手部の帰りに毎日のようにうちに来て、
「ぐあー、きちー」とか言って
僕のベッドで寝ていた。
高校2年くらいの時だったか、
まさきが、一緒に空手をやろうと言い出した。
高校の部活でなくて、町にある空手道場に
一緒に通って空手をやろうと言うのだ。
僕はいやいい、せん、と言った。
お前まじネクラになるばいとまさき。
僕はその後大学に入って、
ちょっと心身ともに不調になり休学した。
まさきのことを思い出して、
ああ、あいつと一緒に空手しとったら
どうだったかな、もっと楽しい青春😄時代
だったかな、
と思ったこともあった。
しかしまあ、その時その時の自分があって、
今があるんだから、落ち込んだりしたのも
必要なことだったんだろう、と思う。
必要なことだった、と言うか、
それが自分なんだ、みたいな。
まだうまく表現出来ないが。
まさきは僕らが高校を卒業する時、
一緒に沖縄旅行に行こう、と言い出した。
船で行こーぜ、と言った。
今なら、おお行こうとなるが、
その時の僕には沖縄旅行は大冒険のように
感じられ、楽しそうだとも思えず、
断った。
まさきは沖縄が好きだった。
まず顔が南国と言うか、東南アジア系であった。
14歳のころ映画館に行った時に
中学生に見えなくて、大人料金を払ってください
と言われたこともあった。
まさきは大学を卒業して就職し、
仕事で沖縄に赴任した。
完全に現地人にしか見えなかったことだろう。
大酒飲みだった彼はよく飲み歩いていたらしく、
いろんな人たちと友達になっているらしかった。
電話したら、日本の盆栽が好きなスキンヘッドの
米国海兵マックスと飲んでるとか言っていた。
26くらいの時、まさきは故郷熊本、
ホームタウンに帰って来た。
僕は仕事で離れたところに住んでいたが、
まさきは僕が居なくてもうちに来て、
風呂に入ったりしていた。
僕が実家に帰った時は、
居酒屋へ飲みに行っていた。
熊本の地震の後、僕も熊本に帰って来た。
まさきが亡くなる、ちょっと前だったか、あいつは、
「うちの家族とお前の家族でどっかめし
食い行こうよ」
と言った。僕は、
「は?まあいいけど、なんで?
別によくない?」
と言った。まさきは
「行こうよ、もう機会も無いんだし」
と言った。
僕は「もう機会も無い」と言った意味が
わからなかった。
その1ヶ月か2ヶ月か、あまり経たない時に、
まさきは旅立った。
おばちゃんから突然電話がかかって来て、
「樟くん…、」
と言ったその声を聞いた時に、僕は
ああ、もしかして…、
まさきが死んだんだ、と思った。
まさきは身体に病気を抱えていた。
なんか薬を飲んでいるのは知っていたが、
そんなに大変な病気とは思っていなかった。
僕はまさきの病気を知らなかった。
あんだけ長いこと一緒に居ったのに、
おれは何を知ってたというんだ
あいつのことを、と思った。
そして振り返って、おれはあいつと、
何を話したろう、と思った。
もともと、中学、高校のころから、
興味の対象が全然ちがうと言うか、
話は合わなかった。
話でなくて、話題は合わなかった。
しかし一緒に居ったわけだから、
なんかが合ったんだろう。
何を話した、っていうのが
あんまり思いつかない。
あまり深い話、自分のハラの中を
打ち明ける、みたいなことを
しなかったのかもしれない。
そんなことを思うが、
ふしぎと後悔は無い。
空手してたら、とか、沖縄旅行行ったら、とか、
家族でごはん行ってたら、とか、
想像はしても、後悔する気持ちは起きない。
その時々、そんときゃそんときで、
そうするのがいいと思ってやってるから、
なんだろうか。
まさきは亡くなる、ほんと直前まで元気で、
だんだん体力が落ちて行って亡くなる、
みたいな病気ではなかったから、
あいつが「もう機会もないんだし」
と言ったのは、なんだったんだろうと
思うこともある。
あいつは自分で何となく感じていたんだろうか。
まさきが亡くなって、
いっとき経った。
夜、寝てたら、なんかフッと目が覚めて、
目が覚めてたのかわからないが、
起きたら、目の前にまさきが居た。
僕は「まさき」と言ったかは覚えてないが、
なんか声をかけた。
そしたらこっちにスッと近づいて来て、
僕のお腹の左下辺りをギュッと握った。
僕はびっくりしてその手を握った。
指があったのはハッキリ覚えている。
その後はまた寝てしまったのか、覚えていない。
朝になった。
ああ、なんかまさきが来たなあと思った。
妹にもらったA4の紙を挟むファイルに、
沖縄の絵のついてるのがあった。
その中に沖縄の染め物「びんがた」
の着物を着た女の人のイラストが
あった。
ああ、まさき沖縄好きだったなあと
思って、そのイラストを紙に模写した。
そしたらピンポーンとチャイムが鳴って、
出たら、まさきのおじちゃんとおばちゃんだった。
まさきの骨を、沖縄の海に散骨して来た、
と言う。
それで沖縄のお土産を持って来てくれたのだ。
まさきが来たという話をしたら
おじちゃんおばちゃんは
へぇー!!と言っていた。
その日か前の日あたりが、
まさきの四十九日であった。
こういうことがあって、僕は
あの時まさきが会いに来たんだ、
と思っている。
ああ、あいつは沖縄の風になったんだな、
と思っている。
風になったかはわからんけど。
まさきのお参りに行くと、うちの家族と
まさきの家族でごはん食べるので、
まさきはよろこんでいるのではないか。
今年もまさきに献杯し、
タバコの全校集会事件の話をして笑った。
