僕の祖父、章(あきら)じいちゃんの弟、
才八(としや)おじちゃんが、一昨日
天国へ旅立ち、昨日お通夜、今日お葬式
であった。
おじちゃんのことでまず思い出すのは、
芋の話である。
僕はサツマイモが好きで、
よく焼き芋、蒸し芋にして食べる。
おじちゃんと芋のことを話した時、
おれは戦争中にカライモは一生分食うたけん、
芋はもういらん、食おうごとなかったい、
と笑いながら言っていた。
昔ん芋は今んとんごつ、うもうなかったっだけん、
そーらもう…カライモはもう食おごとなか。
…
章じいちゃんはカライモ食べていたが。
じいちゃん達は昔、人吉に住んでいた。
才八おじちゃんは、人吉駅長をしていた。
おじちゃんは最後、駅長の帽子を被って
旅立って行った。
じいちゃんの男兄弟はみんな、旅立った。
おやじは、さいはっつぁんが行かしたけん、
これでまた兄弟揃うて麻雀がでくったい。
と言っている。
昨日今日でまた、親戚のみんなと久しぶりに
会った。
じいちゃんばあちゃんたちが順番に
旅立って行く。
親戚の集まりも少しずつ変わって行く。
久しぶりに会った親戚のおじさんから、
じいちゃんたち一家の人吉での暮らし
について聞いた。
みんなそれぞれから見た、人吉の思い出がある。
そういう話聴くのが好きだ。
人吉の町の様子、川沿いを歩くおやじ、
叔母たちの姿が
目に浮かぶ。
みんな人吉の話すると出て来るのは、
ばあちゃんが庭で豚を飼っていた話だ。
数頭だが肥育して、出荷していたのだ。
そうそう、庭でブタを飼うて、
という話をよく聞く。
こういう話聴いてると、
NHKのファミリーヒストリーみたいな、
そういうのばっちりまとめて、
聴かせてくれんかな、と思う。
しかしNHKが取り上げてくれる気配は
ないので、今日聴いた話を、ちょこっと
ではあるが僕はメモった。
こういう話聞くと、
なんか、もったいない、と思って
メモることがあるが、「欲張り」的な
行動なんだろうか。
自分のための、なんかのネタにしようと
している、というのはあるんではないか。
でも、この話、この人たちが居らんくなったら
誰も覚えてる人が居なくなっちゃうんだぜ、
と思うのだ。
僕は「受け身で頑固」らしいし、
なんでもかんでも拾う前に
もうちょっと自分のやることを
整理する必要がある。
しかしおやじたちの、じいちゃんたちの
話聴くと面白い。
自分の中にどうゆう動機があるから
面白いと感じるのか。
なんか「文などにまとめるということ、をしたい」
という気持ちからか。
宮本常一とか、ああいう人たち、
こういうの書くことへの憧れか。
それはあるんではないか。
どうすればいいか。
整理すると言うより、
消化する方法を考えることではないか。
それか、その場でふーん、と
聴いているだけにする、という方法もある。
でもなんか関心があるんだから、
その好奇心みたいなもんとか、そのへんを
うまく、自分のために解いてやるというのを
やりたいと思う。自己満足に達するのだろうか。
それよりか、
叔母に今日も、樟ちゃんあんた、今の職場が働き
やすいなら、そこで正職員になりなさい!早よ、
と言われた。
職業のことをやんなきゃ。
カライモ食べて生きていた才八おじちゃんや
じいちゃんたちは、なんなそら?て言うかもね。
自己満足に達するのかもしれないが、
自分の楽しみのため、健康のためなら
いいじゃん、やろう。人生楽しまねば。
自分もいつか旅立つのである。
そういう、人吉の話を書いて、見せたら、
叔母たちは、おじちゃんやじいちゃんたちは
よろこぶだろうか。
樟、それよっか仕事せんかと言われるだろうか。
まあそうだろうな。
でも樟ちゃん樟ちゃん言ってくれる叔母たちも、
やがてばあちゃんが旅立った歳に近づいて来た。
おもろい昔話は早よ聴いとかねば!と思う。
