「自分の望みを素通りせず
ひとつひとつ叶えていこう」
 
そう暮らし始めて
断捨離に行きつきました。
 
もともと自己対話好き。
断捨離は最高の自己対話♢*
 

 自分を知ってゆく日々を記録します。
 
 

最近、何年も前の過去のことを思い出して
心の中で夫を責めたり義父を責めたりしていた。



それを止めたいのに
止められなくて苦しくて。
後からあれは、PMSだったなーと思ったけれど。



現実では何も起こっていないのに
わざわさ過去を引っ張り出してまで



その感情に浸りたいのは何故?
って自己対話してみた。



奥に渦巻いていたのは
「私はこんなに不自由なのに」って感情だった。



だけど。



「時間に追われたくない」と
切に望んだ願いは、今では叶っているし



やりたいことはやっているから
それも不自由だとは思っていない。




それなら、何に不自由なのか。
ノートに書き出してみた。



"不自由"を感じているのは
自分に"制限"をかけてるってこと。



私は何の制限を
自分に課しているんだろう?



出てきたのは、
"「発言」の制限"


言いたいことを飲み込んだり
相手を不快にさせないか心配だったり
言ってしまった事にくよくよ後悔したり。



「発言」に関しては
無意識レベルでネガティブな感情を
握りしめていることに気づいた。



それに気づいて初めて、
「私は"言葉にたくさん傷ついてきたんだなぁ"」って思った。



振り返れば私の実家では
ネガティブな言葉が当たり前で。



傷ついてきたからこそ、
誰かを傷つけることに恐れを抱くし
"発言"に関してナイーブになる。



カラクリがわかって
「そっかそっか」って自分をまたひとつ
理解した。



私は夫が自由にしていると
すごくモヤモヤするのだけど。



自分も自由なはずなのに
その感覚がずっと謎だった。



誰にも何も制限されていないことは
よくわかっていたから。



そして、行動レベルでは自由を謳歌していたから
自分への制限に気づかなかったけど



"自由"に反応する理由は
やっぱり"制限"にあったんだ。




きっと

何を言っても私は大丈夫。
何を言っても周りも大丈夫。
何を言われても私は大丈夫。



そんな安心感の中にいられたら。
私はもっととっても自由を感じるのだろう。
そう考える時、すでになんだかホッとしてる。



だから。



これからの私の望みは。



言いたいことを言って
それでも安心の中にいること。



何を言われても
私は大丈夫って安心していられること。



そして、そんな安心感を
子供たちにも感じてもらえたら
すごく幸せだなって思う。





もっと自由に♢*