美しく花と散れ ~Patriot's Nightmare~ -7ページ目

美しく花と散れ ~Patriot's Nightmare~

倫理や道徳や一般常識という呪縛に掛かって、人間としての心を失ってしまっている可哀想なロボット達へ捧ぐ

$美しく花と散れ ~Patriot's Nightmare~

「いつだって偉大な先人達は凡人達の熾烈な抵抗に遭ってきた。」とは、
かのアイシュタインの有名な言葉だそうです。
思わず納得な名言ですね。
仰せの通りに凡人ほど前例や常識を重んじると共に、
変化や自分の考えを否定されることや冒険することを極度に恐れますよね。

アイシュタインの相対性理論では時間の流れですら一定では無いとしているそうです。
時間や空間が均一で普遍であるというそれまでの観念すらを否定してます。
100年以上も前に発表された理論なので現代では一般常識(なんですね)になっていますが、
当時の名立たる学者さん達の抵抗は相当だったのだとか・・・。

どんなことでも「継続は美徳」みたいなのがありますが、
全部クリアして考え直してみると全く違った方法に辿り着けたりします。
懸命に守り通すことにパワーをかけるよりも、
一度ブチ壊しちゃった方が良い結果になったりも。
凡人なのは致し方ないとしても、
抵抗勢力にはならないように気をつけないとですね(笑)!
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何か不満があっても口には出さずに穏便に済ませてしまうとか、
周りと仲良くするために角を立てないように振る舞うとか、
ちょっと背伸びをして自分を良く見せようとしてしまうとか、
「イイ子」を演じることで周りから良く見られようとしていませんか?

コレって周りに対しての気遣いでも何でも無くてただの「保身」なんですけどね。
ありのままの自分を出すことで生ずる争いを避けてるだけです。
何で避けるかと言ったら当然に「自分に対しての攻撃」を防ぐためです。
けれどもこれでは自分と言うものの表現が出来ませんね。

それどころかこの様なちょっとした我慢や背伸びってストレスとして蓄積します。
そして蓄積したストレスが自分を蝕み始めます。
我が身を他者の攻撃から守ろうとして自分で自分を傷付けてしまっているのですね。
コレって本末転倒なんじゃ?

こうならないためにはどうすれば良いのか?
へりくだりを捨て去る事ですね。
変な気取りも止めることですね。
イイ子に見せようとするのをやめてどんな時でも自然体を意識することが、
結果的には気持ちを安定させて自分を強くしてくれたりもします。
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人の心を傷つけて喜ぶような心の寂しき者や、
スケープゴートを蔑んで自らの立場を確立しようとする輩は、
到底聞く耳は育っていないだろうから、
謂われの無い中傷をされた君だけに言う。

蝿たちの集まりでは、
蝶も「キモイ」と陰口をたたかれるだろう。
輝けないものが自ら輝こうと努力をするよりも、
輝いているものを汚そうとする方が手っ取り早いものだから。

心ない者たちのうちにも自分と同じ美しさを探しつつ、
君はひとり堂々と、
美しく花開かせればいい。
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タッカン(Suzy)こと高崎晃と言えば説明不要の日本を代表するギタリストですね。
世界レベルでも“Akira Takasaki”を信奉するギタリストは少なくありません。
その高崎晃がヴォーカルを取っている曲は何曲かあるのですが、
僕は案外と高崎晃の声とか歌い方好きなんです。

Make me Wonder / LAZY - YouTube

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そもそもこの一休宗純や川端康成の言う「魔界」とは何なのでしょうか。
僕が一番判って無いのがこの言葉の意味するところです。
ググっても残念ながら的を得た解説には辿り着けませんし、
僕の読解力では到底川端康成の魔界観までは辿り着けませんので(笑)、
最初から諦めて研究者の力をお借りしています。
だいたい川端康成本人ではなくて「魔界思想」をテーマをした研究があるくらいで、
僕なんかが簡単に説明し切れるものではありませんね。
その研究書にも諸説ありますがを乱暴に要約するとこんな感じだと思います。

「仏界」という世界が悩みも苦しみも無い幸福な世界であるとするならば、
短絡的に「仏界」ばかりを指向していても人間の実存など掴めません。
むしろ「魔界」というカオスの世界に進んで身を置かなければ、
どんな綺麗事を並べても所詮は上辺だけのものです・・・。
真実を本質的に捉えるためには「仏界」から「魔界」を見降ろそうとしては駄目で、
「魔界」の深淵にどっぷりと浸かって「魔界の住人」となって真っ只中から掴み取らなければです。
それこそが「真実のもの」であり「正しい姿」であり真の「仏界」と言えるのです。

つまりは超初心者は先ずは第一歩として、
全ての現実を真正面から受け止める姿勢で臨むことから始めるのかな?
物事って知れば知るほど裏側のドロドロが見えて来ますからね。
キレイな舞台も裏に回れば継ぎ接ぎだらけです。

何れにせよ大殺界だと厄年だとか三隣亡だとか、
人をビビらす思想(悪徳商法?)は仏界こそ最高みたい言いますがそれこそ「臭い物に蓋」であって、
魔界で堂々と渡り歩けて初めて仏界の良さが認識出来るのかと思います。
じゃないと大枚叩いて天国へ行っても蓮の池で廃人になるだけですよ(笑)!

川端康成はご自身が目指した魔界にどっぷりと浸かり込んで、
抜き差しならぬ所にまで至ってしまったのかも知れませんね。
でも僕は魔界の住民になってみたいです。
もちろんだけど堂々と魔界を渡り歩けるだけの強さを身に付けるためにですね!
$美しく花と散れ ~Patriot's Nightmare~

「魔界思想」とは川端康成(1899-1972)の戦後期におけるメインテーマですね。
終戦後なので川端康成が40代後半になってからです。
一休宗純(1394-1481)が書き遺した書の言葉である、
「仏界易入魔界難入(仏界入り易く魔界入り難し)」に起因しているそうですね。
魔界だからって聖飢魔IIがオリジナルでは無いですよ(笑)!

この「仏界易入魔界難入」という言葉って一見すると逆ですよね?
「仏界難入魔界易入」なら凡人でも「そうだろうな」って頷けます。
凡人が間違いがちなキーワードが「入」なのだそうで、
ここでの「入り」の意味は「知る」とか「認識する」なのだそうです。
元々の意味としては善行(仏界)を良いと認識するのは誰にでも簡単に出来るけれど、
悪行(魔界)を悪いと認識して正しく律することは難しい・・・と言う意味だとか?

川端康成の作品の中でこの「仏界易人魔界難入」という言葉が最初に用いられたのは、
「舞姫(朝日新聞の連載小説だったそうですね)」の中でだそうです。
プリマドンナ品子が父親矢木の部屋に入って行ったシーンで、
床の間に掛けられていた掛け軸に書かれていた言葉ですよね。
これがこの作品のみならずその後の川端作品に通ずるテーマになって行きます。

余談ですがこの本の巻末解説を三島由紀夫が書いてるのですが、
本編よりも遥かに難解(!)でこれだけでも一読の価値があります。
でもって「舞姫」と言えば森鴎外のラブロマンスの方が一般的かも知れませんが、
この川端康成版の方が不倫あり家族崩壊ありで現代人には馴染み易いかもです(笑)!
$美しく花と散れ ~Patriot's Nightmare~

ズレてなんか無いぞ?
僕もキミも真っ当だ。
ズレてるのはむしろ周りの方であって!

これは真面目にね。
彼らは倫理とか道徳とか一般常識とかって呪縛にかかって、
人間の心を失ってしまってるのさ。
可哀想なロボット達だ。

周りと仲良くってのは至極真っ当に聞こえるけどホントにそうなんだろうか?
皆で仲良くしてるのは本当に仲が良いのではなくて、
自分が攻撃されたくないからそうしてるだけなんじゃないのかな?
そう気付いた瞬間に周りが哀れに思えて来るものさ。

これって視点の違いなんだよ。
たったそれだけ。
「自分が違ってる」って思うと辛くなるけど、
「世界中が間違ってる」ってスタンスに立てば途端に楽になれる。

繰り返すけどキミはズレてなんか無い。
ズレてるのは枠にはめこもうと躍起になってる周りの方だ!
$自由恋愛のテーゼ - Thesis of Immoral Love -

一人の人を愛し続けることが真実の愛だとしたら、
僕の存在や行動なんてのは偽りの愛の積み重ねということになりますね。
けれども「究極の愛の形は結婚である」という常識(?)に疑問を感じたり、
否定したいという気持ちは誰にでも多かれ少なかれあると思うんですよね。
理性や道徳と言うハードルがそれを阻んでは居ても。

常々書いていますが理性や道徳と言うものは社会秩序を守るためには便利な存在です。
ただ人間の本性とは相反しているのも事実です。
その狭間で作り上げられた理想的な概念こそが「真実の愛」ではないかと思うのです。
でも実はその裏に潜んでいる願望こそが「真実の声」ですよね。

例えばですがネットで知り合ったまだ見ぬ素敵(?)な相手が居たとします。
それが一夜の夢に終わるのかはたまた奇跡の出会いになるかは、
実際に逢って身体を合わせてみないと判りませんよね。
けれどもどれだけ多くの言葉(メール)を交わしてみても、
実際に繋がる瞬間ほど多くを共有は出来ません。
だったら早い時期に身体を合わせてみた方がとすら僕は思います。
匿名のままであればリスクは少ないですしね。

そして運良く奇跡の出会いが得られたのであれば、
なおかつ二人だけの秘密が守れて他の誰にも迷惑をかけることが無いのであれば、
そこで得られた奇跡の出会いは結婚と言う形態を取らなくても良いのでは?
それでもその出会いは人生をそれまで以上に遥かに豊かにしてくれると思います。

何だかとても自己中心的で、
自分がやってることを正当化するようなことばかりを書いているのかも知れませんが、
僕は正しいと思うからこそ今の自分があります。
エゴイストであってもね。
$自由恋愛のテーゼ - Thesis of Immoral Love -

結婚や子供を産み育てることを前提とするならば条件が限られて来るかもですが、
自由恋愛になった途端に適齢期も何も無いですよね。
好きな時に好きな人と(互いの合意が得られればですが)恋愛すれば良いだけです。
とは言うものの現実的にはそう簡単でも無いですよね。
話題が合わなかったり思惑(?)が違ったりもして来てしまいます。

ついつい「一般的には」とか「普通だったら」とか、
社会通念や倫理や道徳に沿って生きるのが正義だみたいなのありますが、
どうしてもこれに反するのが個人の願望ですよね。
僕はこの折り合いを自分の中でどう付けて行くのかなんだと思います。
でもって適齢期ってのはその折り合いが上手く付けられる年代なのかな?

何れにせよ型にはめられたままで終わるのではなくて、
女性であれば「妻」や「母」から「女」に戻ろうと意識した時が適齢期なのかも。
もっともっと積極的にチャレンジして、
女性としての人生を華やかに演出して頂きたいですよね。
それが出来るかどうかがご自身が一歩踏み出せるかどうかなのだと思います。
$自由恋愛のテーゼ - Thesis of Immoral Love -

目で会話するとか目で感じあうなんて表現されるぐらいに、
「視線を交わす」ということは重要なコミュニケーション手段の一つですね。
ことわざにも「目は口ほどに物を言う」とかありますから、
恋愛関係においても表現を目で伝える(伝えようとする)ことはあると思います。
街で目が合っただけでケンカになった・・・とかもありましたが!

けれどもいざ身体を交える段階になるとどうなんでしょうか?
男女ともに相手の反応を見ることはあっても、
最初から最後まで互いに目を見つめ合って・・・なんて殆ど無さそうですよね!
逆に何だか落ち着かなくなっちゃいそうで(笑)?

ちなみに僕は目が極めて悪いので薄暗い室内では殆ど見えていません。
輪郭はもちろん判っていますが細かな表情までは無理・・・なので、
むしろ目を閉じて視覚以外の感覚を使っていることが多いのかもですね。
なので明るい部屋でも真っ暗にしても実はあまり変わらない(笑)?