3月11日になりました。あの日の思い出を書いてみたいと思います。
2011年3月11日14時から、オフィスで採用面接をしていました。博士課程を終えたばかりの女性相手に。ビデオ会議室で大きなスクリーンが立ってました。
初期微動が非常にながく、海上であって欲しいと思ってました。大きな揺れがはじまりスクリーンが倒れないよう抑えてました。「津波がなきゃいいけど。」と言ったのを覚えてます。三陸を旅行して高台にある津波が来た標識を見たことがあったんです。
あらかた揺れが収まって、候補者の方に「この部屋にいていいです。地上回線の電話も使って下さい。」という趣旨のことを言って、オフィスエリアにもどりました。なんだか酔ってめまいな感じになってました。
間近にいた中国人社員のC子さんに「yahoo開けて」と頼み、すぐ「津波情報ない?」と二人でみていたら、画面上に津波警報5メートルとでて、それがすぐ10メートルになり、15メートルになりました。2人で顔を見合わせ声が出ませんでした。
ただしい行動だ正しく迅速に。あせりのような思いが湧き上がってました。
正しいの基準は安全に家族のもとに帰すこと。仕事はあとで何とでもなる。
すぐに自分のチームに安否確認メールをだし、シンガポールにいた上司に「大地震があったが、オフィスにいる人に生命の危険はないです。」とメールしました。
次に「会社にいる人は会社の固定電話で家族に連絡をとっていいです。」とメールし、出張中の人には「多分もどれないから、会社負担で宿泊や帰りのルート変更していいです。」とメールしました。
ビデオルームに戻ったら、テレビがついていて、津波が来始まってました。東京も危ないかなと思いましたね。
このあとの記憶があやふやなんですが、私のチームの人には、帰れそうなら帰っていいと伝えました。
いろいろ決めることがあったんですが、即断即決。私に権限がない内容も、とにかく決めていきました。例えば隣のグループの派遣社員さんを帰宅させていいかとか。上司が海外の人の相談に乗ったり。
上にお伺いたててもしょうがない。
多分オフィスから10キロ圏内ぐらいの人は帰ってましたね。あとの方はオフィスに泊まることにしてました。港区は電気がきれなかったんですよね。
面接に来ていた方は大学の研究室に泊まるとでていきました。5キロぐらいあったんじゃないかしら。
ちょうどその大学を訪問していた、オランダ人とシンガポール人、日本の隣の部門長がタクシーに缶詰だったそうです。
私は17頃までに、チームの皆の行き先が決まって、退社しました。その頃には余震慣れしてたと思います。
日本がどうなるんだろうという気分で歩いてました。遠く三陸で亡くなっている方々への無力感とともに、心の落ち着きどころがなかったんです。
当時オフィスにはヒールの高い靴でスカート履いてました。寒さの中トボトボ帰ったのよね。あのとき歩いていた何十万人もの人。忘れられない光景です。