令和になりましたね。
世界で最も古い皇室と東アジアで唯一続けている元号って。。。。
日本っておとぎの国なのよね。
上野千鶴子さんのスピーチにまつわる思いは、今日でおしまいにさせていただきます。
こちらから読むこともできます。 平成31年東大入学式での上野千鶴子さんの祝辞
一番突き刺さったのはこの部分なんです。
男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。
私、若いときのんべんだらりとした生活を送ってました。日本の会社で事務のおねーさんに将来性を感じなくて、さっさと辞めて外資に事務のおねーさんで移ったんですが、別段キャリアとか考えてなかったんですよね。
生き残るのに、自分を環境に最適化することは考えていたかな。
あまり楽しくひびきませんね。
平成の初め、女性はクリスマスケーキにたとえられ、25歳までには結婚すべきという雰囲気でした。 年上の女性を見て、30歳で働いている人は売れ残りでみじめに見えたの。
今書くと怒られますね。 当時は本心から、結婚できなかった女性は「魅力がない」「変人」という風に見えたし、周囲に会社のキャリアで成功して輝いている人なんていなかったんです。
結局ご縁がなく(結局魅力がなく変人で)12-3年事務の仕事をやってました。誰も脅かさないような、パーソナルスキルを身に着けるのに一生懸命でしたね。そっちの方が得だって知ってたから。かわいい性格ではなかったのを、うま~くコーティングしてね。
そのうち私を調査の仕事に引っ張ってくれる人がいて、ビジネス分析の仕事に変わり、数年でチームを率いるようになりました。 それでも日本人には「かわいい風味を少しで、しっかり者」あたりのブランディングを心掛けました。 もめない路線ね。
アメリカ人相手には当時国務長官だったゴンドリーザ・ライスみたいな路線を努力してたの。アメリカ人からの勤務評定はその方が高くなるから。
しかし、楽しくない性格だわ。。。
いまだに、法事で親類が集まると、トイレの掃除と下足番してます。 その方が母が褒められるから。もめないし。
30代40代仕事に努力をしつつ、「かわいい風味」「つくす風味」をまぶすセルフブランディングを頑張ってて、そんなことしなくてもいい男性に比べてなんだか哀れよね。
今に至って、努力した自分がもっと年下の社員のロールモデルになれていないなあという自覚はありました。夜中の2時3時にアメリカと会議をしなきゃ、手に入らないものならいらない、というのが普通の感覚です。
80年代から90年代、門戸・機会は女性にオープンになりましたが、求められた人物像は極論をいうと片山さつきさんとか、日本IBMで初めて女性役員になった内永ゆか子さんとか、ポーチジョンを創業した野口美香さんとかだったと思います。 男性の仲間にある程度入れてもらえて、銀行が事業にお金を貸してくれるかもという感じ。
大多数の人はなれるはずないでしょ。 でも多くの女性が機会は均等になっても挫折していく中、少数の女性は仕事で卓越しつつ、かわいいふりかけをかけて生き残っていきました。
努力と献身の旧来の価値観に寄り添った女性達です。
でここへきて、産めよ増やせよ、女性の活躍、ダイバシティ―となって、旧来の女性の生き残りモデルはかえって弊害になりかねないのよね。
分かってはいたんだけど、上野さんが努力を弱者に使えとおっしゃると、努力モデルにかわいい振りしてやってきた自分は、旧来の男性モデルを追認していた側なのかなと、暗くなりました。
私が引用した部分について「ぶりっ子すんじゃねーよ」とか「ぶりっ子にだまされるんじゃねーよ」と読んだ人もいると思いますが、どちらかというと、「かわいいという価値に守られる必要のない社会を考えろ」と投げかけているんだと思います。「かわいい」を否定しているわけではなく、性別による価値を、成績や仕事などの価値から切り離せと言ってるんだと思います。
その論点からは、私もダブルスタンダード側にいるのよね。
でまあ今となっては性格の深いところに根付いていて、今更変われるんだかよくわからなかったりします。
いろいろ考えてもサラリーマン人生は長くて10年+嘱託で数年でしょう。 (首の心配は常にありますけど) 上野さんのスピーチは、感じていたことに言葉を与えてくれて、今の30代ぐらいの人に意味を持つようなことを少しはやらなきゃいけないのかなと、自覚させてくれた気がします。