昨日の続きです。
なかなか自分の考えの説明にいたりませんね。
いろんな人と話して見えてきたことがあるので、そちらを先に書いてまいります。
2週間前には医療従事者がメインで、それに大学の先生が集まるレセプションに出席の機会がありました。
ここでも上野千鶴子さんのスピーチの話しになりました。
お向かいに、大学病院で教えてらっしゃる脳神経外科の先生が座ってらして、この方は女子学生を増やすことに懐疑的でした。
初めに書いておきますが、女性蔑視とかではないし、医者として尊敬できる、自分が患者なら信頼できると思えるような先生です。
「今の医療は医者の過重労働でもっている。働き方改革が医者に来るのは最後」
「女子学生は面接うけがいい。」「でも最終的に、医者として頑張れるかで、合格を決める。医学部というのは入った時点で将来の職はほとんどが医師になるんだから、入試=就職試験だ」
「いまの過重労働下でも、患者を診て勉強していこうというパッションのある人が医学部には欲しい。」「過重労働は医療や保険のシステムから来ていて、それなしに医療や病院の経営は成り立たない」
「現行のシステムで医療を維持しなければならないとき、女性の方がワークライフバランスを重視することが多いなら、男性の方を合格させる動機が働く」
「でも、文科省に大学への補助金を握られてるからね。指導されたら、聞かなきゃいけない。」
そうなのよねー。
その通りなの。
でね、私は言ったんです「先生のおっしゃることはよーくわかりますが、別な見方をすると医療は病人を治療することへの“やる気”や“献身”を、搾取してるんじゃありませんか? それで医療って維持できるんでしょうか?」 「今時の若者の多くは、従来の価値観に魅力を感じないんじゃありませんか?」って。
正解はありません。 日本の医療と保険の制度、医者への簡単なアクセスは世界一だと思います。それを支えているのが、医師の過重労働なのも事実です。
ワークライフバランスを果たそうとする医師が増えると、その素晴らしい制度が支えられない可能性があるなら、私たちは何を重視すればいいのかわからなくなりますよね。
上野千鶴子さんのスピーチで、私が抱えたもやもやの一部はこのあたりにあったんですね。
高い目的のための、搾取をゆるすような“やる気”と“献身”は、前時代的に響きます。 昭和の価値観に根差したものかな。
平成の初めは、その昭和な価値観の文脈で人間が評価されていました。
ジェンダーやダイバーシティーに関心が集まる平成の終わり、「自分らしくあることで、幸せ」に価値観がすでに移っています。
「世界に一つの花」も「Let it go ありのままで」も平成に力強く叫ばれたメッセージなんですよね。
今の自分の心の在り方は「自分らしく」で当然なんですが、“やる気”と“献身”がもはや突出した価値観ではないことに、愕然とする思いを抱きます。
大学病院で夜勤をこなし、上司の無理をきく努力をするのが昭和の美徳だったわけで、患者を救うという志しの前に、体力におとり出産の可能性のある女性の医学部入学は人為的に低く押さえられてきました。
上野さんのスピーチは例えるなら、ありのままの唯一のあなたと私が、共に医師として働けるような環境作りの努力をしろと言ってるんじゃないかと思います。
日本の多くの古い美徳で頑張ってきた方々(多くは差別的ではありません。)にとって、上野さんが示した努力の方向性の変換は、なかなかピンと来ないんじゃないかな。
今までの東大の祝辞は程度の差はあれ、旧来の美徳の延長にあったんじゃないかしら。
自分の来た道を考えると「徹夜だろうが、連続出張だろうがどんと来い」ぐらいの気持ちでやっきた部分があり、それが否定されている気がまったくしないわけではありません。
東大出が多い、官僚さんたちだって似たようなものですよね。
今まではジェネレーションギャップぐらいに思ってたんですが、自分が維持に無理ある状態の片棒を担いでいた感が芽生えて参りました。
あと1回続きます。