コンクールを終えて♪4
その後何人かで打ち上げ。様々な思いを胸にこめて、人生最良の日は終えたのでした。
ちなみに今日は7月31日。去年のコンクール本番だった記念日です。「ラ・マンチャの男」の名演(自画自賛)は今年と並ぶ良き思い出ですが、
…
1年前、3年生が抜けたときの鶴丸吹奏楽部は、初心者ばかりで、技術的に大ピンチでした。本気で史上最低ラインからのスタート。
自分ら3年生もやる気が無かったわけではないが、金賞など程遠い状態だった。
それでも役員を中心に少しずつ少しずつ基礎力を上げていって、色々な行事を終えるごとにみんな成長していった。
特に転換期になったのは、春休みに松陽高校に行かせてもらったとき。自分たちの甘さを実感する一方で、同じ高校生、自分たちでもやれるんじゃないかと感じた。
それから先生含め意識が変わり、自分もパー練を変え、合奏も変わった。
紆余曲折を経て決まったブルースカイとこうもりに、甲鶴戦後は全てを捧げ、井上先生をはじめたくさんの方の協力を得ながら、鶴吹は進化を重ねていった。
特に1週間前に音楽性を指摘されたのは大きく、自分たちが楽しく吹いて、お客さんを楽しませる大切さを胸に刻んだ。
ちなみに今日は7月31日。去年のコンクール本番だった記念日です。「ラ・マンチャの男」の名演(自画自賛)は今年と並ぶ良き思い出ですが、
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1年前、3年生が抜けたときの鶴丸吹奏楽部は、初心者ばかりで、技術的に大ピンチでした。本気で史上最低ラインからのスタート。
自分ら3年生もやる気が無かったわけではないが、金賞など程遠い状態だった。
それでも役員を中心に少しずつ少しずつ基礎力を上げていって、色々な行事を終えるごとにみんな成長していった。
特に転換期になったのは、春休みに松陽高校に行かせてもらったとき。自分たちの甘さを実感する一方で、同じ高校生、自分たちでもやれるんじゃないかと感じた。
それから先生含め意識が変わり、自分もパー練を変え、合奏も変わった。
紆余曲折を経て決まったブルースカイとこうもりに、甲鶴戦後は全てを捧げ、井上先生をはじめたくさんの方の協力を得ながら、鶴吹は進化を重ねていった。
特に1週間前に音楽性を指摘されたのは大きく、自分たちが楽しく吹いて、お客さんを楽しませる大切さを胸に刻んだ。