練習すればするほど鳴らなくなる。久々に吹いたらいい音が出た。練習しない方が鳴るのか!?
みなさんはそんな経験ないですか。ぼくは、ありますよ。でも、これってなぜなのでしょうか。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
練習すればするほど…
練習していて、吹けば吹くほど鳴らなくなる。
そんな経験ってありませんか。
また、2~3日あまり練習できなかったのに、きょう吹いたらいい音が出た。
練習しない方がいいんじゃね!?
そんなふうに思ったことがある人も、きっと少なくないかもしれませんね。
ぼくもありますよ。練習すればするほど鳴らなくなったこと…
ムカつくんですけど…(-_-)
さて、でも、どうしてこんなことになるのでしょうか。
なぜ!?
なぜなのでしょうか。
バテたから?
練習のしかたが悪いから?
練習の内容が悪いから?
奏法が悪いから?
疲れがたまっているから?
いろいろな原因の場合があるのかもしれませんが、思うにきっと…
なにを優先しているか
それってもしかしたら、音よりも手順(やり方)が優先になっているから、ではないでしょうか。
こうすれば、うまくいくはずだ。
こうすれば、こんな音が出るはずだ。
これをやれば、こうなっていくはずだ。
そして、それなのに、出てくる音にはあまり意識が向いていない…
さらに、手順(やり方)だったり練習の内容だったりを、自分に強いている時…
『これをやれば』『こうやれば』上手くなれるんだ、って、強いている時…
なのではないかな、と思うのです。
どんな練習がいいのか
手順ややり方にばかりこだわって、結果としての音への意識が薄くなっている…
これが、『吹けば吹くほど鳴らなくなる』時のパターンな気がするのです。自分でも。
そういうパターンに陥ることって、あるじゃないですか。
だから、逆に、
音に意識を向けて、注意深くゆっくりと、簡単なことから自然に練習する。
これがいいように思うのです。
出てくる音がダメだと思ったら、さらに簡単なことに戻って練習する。
もちろん人によりいろいろな場合や状態があって、
『やり方』に意識を向けなければならないこともあると思います。
でも、音への意識がおろそかになっては、いいことはないなぁ…、というのが、最近思うことです。
やり方が音をつくる?
ここから言えそうな仮定…
やり方が音をつくる(こんなふうに吹くから、こんな音が出る)のではなく、やっぱり、
音がやり方をつくる(こんな音を目指すから、こんなやり方になる)のではないか…
『音』が、先。
これ、譜読みや音楽をつくる時とおんなじですね。
楽器で楽譜をたどっていったらこんな音になった、ではなく、まず先に『音』がある。
もちろんいろいろな場合があるのかもしれませんが、でも、
やっぱり大切なのは『音』なんだなぁ、ということを実感する、このごろなのでした。
さて、あなたは『音』に意識は向いていますか。