童謡などシンプルな曲を階名唱することは有益である。
リコーダーなどでも有益だ。
読めた途端に吹けるようになってくる。
ただし、指遣いを覚える際には、音名を使わなければならない。
最近私は英語音名に力を入れている。
コードの学習にも繋げやすいからだ。
そう考えるとコードネーム自体は固定ド的だともいえる。
私の音感は相対音感である。
教科書の裏にコードの表が付いているが、あれは使ったことがない。
簡単に作り出せるのがコードの良いところ。いちいち表を丸覚えなんかしなくてもいい。
スリーコードTSD などの構造を先ず身につけたならばあとは応用。あらゆる調で応用が効く。
私は移動ドというよりも、機能ドといった感覚を持っていると思う。
それは言葉にすると素晴らしいとも見えるが、同主長調も同主短調も同じドレミと感じたりもするわけだから、もうある種の音感を持った方々から見ると訳がわからないことにもなるだろう。
実際、
ソルフェージュのある先生は私に「不可」を付けたし、
ある先生は「秀」をつけた。笑。
さらにその感覚は教育家に体系的に鍛え上げられたものではなく、自ずとそう育ってしまった類いのものなので仕方がない。
ただ歌うのにはとくに困らない。ピアノを弾くにもとくに問題はない。
そう、現代曲だってよほどのことがなければ対応できる…
まあ、大変であるけれども対応してきた。笑。
機能ドのメソッドを持っているわけでもないし、体系化するほどの何かを持っているわけでもない。中途半端に身についた感覚の域を出てはいない。ただ役に立ってはいる。
平行調と同主調、長調短調を行き来するようなわけのわからない自分の感覚は、混乱も生むが、作品に反映してアレ?っという面白い錯覚を感じさせてくれることもある。
私の中途半端で一般的でない音感だが、
一度冷静に分析してみると面白いと思う。
ソルフェージュの成績評価は真っ二つに分かれて、なんだかよくわからないが、
自分的には、困らない程度の音感だと思う。
ソルフェージュの話ではなく、鍵盤を使って構造を理解する上での話です。
固定ドの話でも移動ドの話でも実はないのです。
たとえばリディア調はどのように歌いますか?
私はたとえばドレミ♯ファ…などと感じます。
私は歌の曲を書くときは最初にキーの調整をします。
歌うに適したキーかどうか…
ところが演奏会が近くなってどうも調子がでないというようなことが起きてきます。
そのときには移調を試みます。
声にはよくても、ピアノの響きがキンキンしたりボヤけたりと感じることがあります。
その場合は伴奏自体を根本的に書き直すこともあります。
自分のキーも計り知れないものがあるのですが、楽器にもその楽器が見事に鳴る音域や渋味のある響きがする音域があります。
微妙で、微妙なまま改変しなくとも良いこともあるのですが…
キーの調整を済ませて、次にはピアノでコードを探りながら同時進行でメロディも追いかけます。
そうではなく、自転車で走りながら鼻歌で想像することもあります。
ピアノだけで発想して良いメロディだと思っていても、歌には向かない場合もあります。不思議ですが、当然でもあります。
今脳裏にある候補の曲は古風な短調、あるいは同主調を行き来するような感じなのだけど、まだ書きたくありません。
書き始めると、書いたことに少なからず縛られるので、詩の暗誦と構想がある程度まとまるのを待ちます。
だからといってさらにまとまりなどしないのですが…笑