悪魔のいけにえ
『悪魔のいけにえ』(‘74/アメリカ)
監督: トビー・フーパー
日本の作品のいくつかもリメイクされているがアメリカではここ最近、往年のホラー映画のリメイクがちょっとしたブームになっている。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』や『蝋人形の館』、『悪魔の棲む家』、『オーメン』などが次々とリメイクされている。
その中で、2003年に『テキサス・チェーンソー』という邦題で発表されたリメイク作の元ネタがこの1974年に
製作された傑作『悪魔のいけにえ』だ。
70年、80年代はいわゆるホラーブームがここ日本でも起こり、多くの傑作からごみのような駄作までがボウフラの様に沸いてきた。邦題はきまって「死霊の~」やら「悪魔の~」やらバカの一つ覚えで次々と腐るほど登場した。
ただ、ホラーというのはなかなか元祖を超えるのは難しく幾多の失敗作を乗り越えて傑作が生まれるということは実はあまりない。いろいろな要素があいまって、奇跡的に生み出されるものの中に傑作が多い。
なんとなく作ってて、ふたを開けたらすばらしい作品ができちゃったよ、みたいな感じだ。
この『悪魔のいけにえ』もそんな風にまさに奇跡的に産み落とされた作品の内の一つだ。
原題は「THE TEXAS CHAINSAW MASSACRE」。直訳するとテキサスチェーンソー大量虐殺というタイトル。
バンでの旅の最中、テキサスの田舎町に立ち寄った5人の若者達。
ガソリンを補給するうちにふと立ち寄ったある家で若者達が次々と惨劇に見舞われていく。
この作品以降ホラー映画の定番となったプロットだ。
若者達が旅の途中にとある田舎町にたどり着く。車はガス欠寸前。ガソリンスタンドに立ち寄るが、
なぜかガソリンがない。そこでガソリンを探し回るうち、
奇怪な連中に襲われて・・・のようなものはそれこそ星の数ほどでてきた。
個人的に映画をきちっとジャンル分けするのはあまり好きではない。
そもそも見た人の感じ方ひとつでどうにでも変わってしまう映画はたくさんあるわけで、
それを無理やりひとつの枠に収めてしまうのは、逆に言えばジャンル分けしたがゆえにせっかくの傑作を見逃してしまう方も出てくるかもしれない。
ただ、そんなことをいっておきながらであるがジャンルで言うならこの『悪魔のいけにえ』はホラー映画なんだろう。
ただ、ホラーの枠に無理やり収めなくてもこの作品は紛れもなく傑作だ。
『13日の金曜日』やら『エルム街の悪夢』シリーズなどのように、いわゆるモンスターや不死身の殺人鬼なんかは一切出てこない。この作品に登場するのはある意味生身の人間のみ。ただ、こちらの常識というものが全く通用しない相手ではあるが。
また過剰なスプラッター描写はほとんどない。血の量は極めて少なく、残酷な描写も極力控えられている。
だがとてつもなく怖い。全編を包む気味の悪い嫌な雰囲気。
ドキュメンタリー作品でも観ているかのような、過剰なBGMなど一切廃し、砂っぽくざらついた画で撮られたこの作品の鑑賞後は「いったい何が起こったのか」としばらく茫然自失になるだろう。
そんな視覚的よりも感覚的に恐怖を与えられる部類の作品だ。
ホラー映画やサスペンスなどある程度観ている今となっては、残酷描写などはそれなりの免疫がついてはいるが、ただどうしてもこの感覚に訴える恐ろしさというのはそうそう慣れるものじゃない。
不死身のモンスターであれば、こちらの常識が通じないのも納得できる。
ただ、相手が同じ人間の場合はどうだろうか。とにかく理由がわからない。なぜ殺されなければいけないのか。
どうして追いかけられるのか。こいつらはいったい何者で何が目的なのかを。
どうしても避けて通りたいある種の人間というのは確かにいる。若者達がたどり着くこの一家の連中はまさしくその部類の人間だ。
こちらのいわゆる常識が全く通用しない相手ほど怖いものはない。
『ファニーゲーム』
の記事でも同じようなことを書いてはいるが、そんな連中に与えられる理由がない暴力ほど怖いものは人間にとってはないだろうと思う。
さっきまで笑い会っていた者が次々となんの理由もなく殺される。懇願など聞き入れられる余地はない。
この映画には人物描写というものはまったくの皆無で、ただただ恐怖だけが映し出されていく。
中盤以降、若者達がある家にたどり着いてからがこの作品の核だ。
一人ずつ行方がわからなくなり、徐々に不安な感覚が起こってくる。
殺人鬼の姿はなかなか現れず、突如現れては若者をハンマーで殴りつけ殺す。
ただ、殺人の描写は現れない。やはり視覚的なものは極力抑えられて描かれる。
そして、マリリン・バーンズ扮する主人公ジェリーがこの一家に捕まってからの、物語終盤の十数分間は
その後製作されたホラー映画のすべての手本となっているといっても言い過ぎじゃないだろう。
後半はけたたましいチェーンソーの爆音と、笑っているとも発狂しているともとれる主人公の悲鳴しか聞こえない。
そしてラスト、画面を覆いつくすこの嫌な音はなんの前触れもなく唐突に幕を下ろし、一転画面は無音になる。
静寂がこれほど心地いいと感じられることはない。ただその後には先ほどまで画面に映し出されていた
恐ろしい光景がフラッシュバックのようにしばらく脳裏に焼きつくだろう。
この後半の狂気に満ちたシーンと、なんの結論も出さずに突然終了するラストの展開は傑作としか言いようがないほどのすばらしさだ。
監督のトビー・フーパーはこの作品で一躍有名になった。
そしてその十数年後に続編を監督したが、彼自身が作り出した傑作『悪魔のいけにえ』を超えることは出来ず、実質これが最初で最後のピークとなっている。
そんな奇跡的な産物である本作だが、これを超えるほど強烈な恐怖を与えてくれる作品は、他の手によってしてもその後中々現れない。