十二人の怒れる男
『十二人の怒れる男』 (‘57/アメリカ)
監督: シドニー・ルメット
おそらくこのブログを見ていただいてるほとんどの方が生まれる前の作品だろう。
たとえば、1950年代の映画というとどういうものがあるだろうか。
有名なところでいうと、かのアルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』や『めまい』などの名作もこの頃、
オードリー・ヘプバーンが『ローマの休日』や『麗しのサブリナ』などに出演したのもこの50年代だ。
とても古い映画ではあるけど、派手な演出が踊っている最近の映画にはない、
地味ではあるけど新鮮な印象を受ける作品がこの『十二人の怒れる男』だ。
監督は、アル・パチーノ主演の傑作『セルピコ』、『狼たちの午後』の社会派で知られるシドニー・ルメット。
今となっては、CGなどの技術も当時では想像もできないほど進歩しているし、
役者がそれほど演技をしなくても、一応映画として成立してしまうことも少なくない。
ただ、50年も前の映画であるこの作品からは、役者がそれこそ身一つで演技をしているさまを観ることができる。
この作品、タイトルのとおり12人の男たちがアツくぶつかり合う密室劇だ。
キャストのメインはこの12人のみ。びっくりすることにこの映画、女性は一人も出てこない。
密室で描かれるこの作品は、この12人の陪審員が裁判について議論し、決を採るまでの90分を描く。
事件は18歳の少年が父親をナイフで刺して殺してしまったというもの。
有罪であれば、情状酌量の余地はなく死刑となる。さぁ、どうする。
この決をめぐってこの男たちが、エアコンも効かない夏の暑い部屋で、汗をにじませながら、
文字通りむさ苦しいほど熱く議論を重ねていく。
誰もが、有罪だと判断していたが、議論を重ねるうちに話の流れは2点3点し、結論がどんどん変わっていく。
陪審員制とは陪審員が全員一致の結論を導くまでは続けられるため、一人でも異を唱えるものがあれば、
何度も決を採り続けなければならないんだ。
12人の男たちは様々で、さっさと終わらせて帰りたい人、しっかりした理由もなく偏見から死刑を求めるもの、
人一人の命の大きさを説き議論を重ねようとするもの、特に持論もなく流されるだけの人、
一人ひとりが実に個性的で、その一人が発するたった一言で議論の流れが大きく変わっていく。
とにかく人物設定が実にわかりやすくすばらしい。個々の性格や育ってきた環境も違うこの男たちは
それぞれがとても個性的なキャラクターに描かれていて、それが議論にも影響していくんだ。
こうしたやりとりが90分もの間、狭い密室で繰り広げられる。
とにかく会話のみでストーリーが展開していくため、観客も一字一句聞き漏らせないほど集中
することを強いられるだろう。
事件自体のシーンは登場しない。議論の中での会話のみで、いったいどんな事件なのか、
加害者や被害者はどんな人物で、どういった環境で育ってきたのか、などが劇中で描かれる。
まったく無駄のない脚本、セリフの数々は舞台をみているようなライブ感すら感じさせてくれる。
密室劇ではまぎれもなく傑作だろう。これほど場面を変えずに派手な演出もなく、
おそらく今の映画の制作費とは比較にならないほど安く作られたこの作品には、
いい脚本といい役者、これだけ揃えばすばらしい映画を作るには十分なんだと思わせる。
三谷幸喜が『12人の優しい日本人』という舞台劇でリメイクもしたこの『十二人の怒れる男』。
50年も昔の映画ではあるけど、過剰な演出に食傷気味な方にとっては、逆に新鮮に映るだろう。
陪審員制度とは似て非なるものだが、日本でも裁判員制度が2009年までにスタートする。
観客も一緒になって十三人目の陪審員としてこの映画の中で議論に参加してみるのもおもしろい。