トーク・トゥ・ハー | 映画まみれR

トーク・トゥ・ハー

『トーク・トゥ・ハー』 (‘02/スペイン)
監督: ペドロ・アルモドバル


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いろいろと賛否が分かれる作品だと思う。
ハリウッド映画によくあるような生ぬるいラブストーリーではなく、ある意味タブーな愛の形を描いた作品。
男性と女性で見方がとても変わってくると思うけど、男のぼくが見る限りこの映画は男性の視点から描かれた

極端に倒錯したラブストーリーに感じられた。



交通事故により4年間一度も意識が戻らないまま昏睡状態が続いているアリシア。
そんな彼女を看護師のベニグノは4年の間献身的に介護している。
また、女闘牛士のリディアも競技中の事故で昏睡状態になり、同じクリニックに入院してくる。
彼女の恋人マルコは見舞いには行くものの、いつ覚めるかもわからない彼女を見て悲嘆にくれている日々。
そんななか、ベニグノとマルコは顔をあわせるうち互いに友情を深めていくようになっていく。


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母親以外の女性とまともに接したことがなく、何年間もずっと母親の看病をし続けたベニグノ。
そして、話しかけても決して反応のないアリシアを4年もの間、毎日体を隅々まで拭いてあげ、

時には生理の処理までし看病し続ける彼は、彼女に対して抱いていた愛情をどんどん膨らませていくようになる。


とても厭らしいことだけど、男からすると前半のベニグノの彼女を看病する -美しい彼女の体中を愛撫

するかのようにケアしている- シーンは、男性としてやはり性的に見てしまう部分はある。
一線を越えるかどうかは、実はものすごく紙一重だろう。ただそれを行動に移すかどうかは個々が持ってるモラルによるのかもしれない。人としてタブーとされていること、その一線を越えさせない個々のモラルは、

恋愛において言うなら、今までの周りとの関わりや実経験によってそれが身に付き形成されていくものだと思う。


ただベニグノは10年以上母親の看病のみをしており、外部との接点もなければ恋愛の経験もない。

自分がなにもかも世話をする。きれいだった母親をずっと保たせているのは自分、自分なしでは母親は
生きられない、といったような独占的で一方的な形こそがベニグノにとっての愛し方なんだ。
その愛し方を母親以外の初めての女性であるアリシアにももちろんしていく。

だってこれが彼にとってはいたってノーマルな愛の方法だから。


人間ではあるが、決して反応のない彼女を偶像化し一方的にアリシアを愛する彼を見ているうち、
江戸川乱歩の「人でなしの恋」にも通じるような物体を愛しているような感覚さえ覚えてしまった。


ただ、これが異常かどうかはわからない。まともに女性と話したことのない男にとって、
恋愛の形はどんどん妄想化されて行くものかもしれないし、文字通り一途な愛なのかもしれない。

ベニグノ対して、マルコはいわゆるノーマルな恋愛をしてきた人。

といっても、ノーマルではあるけれど一途になり過ぎで、過去の恋愛からずっと抜け出せなず

苦しみ続けているとても繊細な男だ。

この二人は愛し方こそ対照的に違うけど、愛に一途という点では共通するのだろう。

人を愛することは本当にすばらしいことだ。ただ、目には見えないある一歩を踏み越えてしまう愛は、
一方的で自分勝手な愛になってしまうかもしれない。


そもそも「愛」とはそれぞれがお互いを意識するもので成り立つものではないか。
マルコはその点ノーマルで、アリシアと結婚したいと言うベニグノに対して

「彼女は愛を受け入れることすら出来ないじゃないか」と非難する。
そういう意味ではマルコは「こちら側」の人間で、愛とは双方認め合うものだと信じている。

だからマルコは、昏睡に陥ったリディアに指一本触れることも話しかけることもできないんだ。


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とにかく、人が人を愛するという行為はとても狂気と裏腹なものだ。
好きでしょうがなくて殺しちゃう人だっているし、中には体の一部を食べてしまった人までいる。
こういう衝動は、愛する人とひとつになりたい、常に自分の傍にいたいという独占欲がエスカレートしてしまった故の行動なんだろうか。


劇中に挿入されるサイレント映画の結末。ベニグノがしてしまった行為を後押ししたというその映画は、
薬を飲んでどんどん小さくなっていく男がやがて愛する彼女の「中」に入り一つになるというものだ。
ベニグノがアリシアにしてしまった行為は、人として絶対に超えてはいけない一線すら越えてしまったもの。

どうあがいても報われない愛を意味のあるものにするためにとった彼のその行為は、

あまりにも相手を尊重しない一方的で無責任な行為ではあるが、ともすれば
二人が愛した証を形に残したいと考え子供を作る、普通の愛情と変わらないのかもしれない。


ただ、なんでも「愛」の一言で片付けてしまうのは簡単だけど、愛するが故の彼のとった行為に対しては

一ミリも共感はできない。気持ちはわかるが、あまりにも相手に対する思いやりがなさすぎる。

マルコのいうとおりお互いが認め合い敬ってこそ、そこに愛が生まれるんだろうと思う。

結果的にアリシアに奇跡を起こしたベニグノの愛だが、それを彼女が知る由もないのがなんとも皮肉だ。


この映画を観て、ジャン=ジャック・ベネックスの『ベティ・ブルー』という映画を思い出した。

過激なSEXシーンが話題になった作品だが、気が狂うほど人を愛してしまった女の悲しい結末を描いた作品だった。

愛は時として狂気にもなるし殺意にもなるんだろうか。きっと答えなんてどこにもないんだろう。

人間にとって永遠のテーマである「愛」を語る映画が星の数ほどあるのが、その象徴なのかもしれない。


女性が観るととても不愉快に感じられる映画かもしれないがどうだろうか。