ずーっと、裏口入場!?~大阪城公園 | 旅するおサルのぼちぼち世界&大阪周遊記

ずーっと、裏口入場!?~大阪城公園

森ノ宮駅から再び環状線で一駅行くと、次は「大阪城公園」駅でございます。


大阪城公園駅。改装中。


その名の通り、この駅での見どころはまぁ何を差し置いても大阪城。


・・・・・なんやけど、おサルも含め、たぶん多くの大阪人にとっては

「大阪城公園」駅で降りる理由と言えば、どちらかというと城目的よりも



こちら「大阪城ホール」目的、という人も多いはず。


大阪城公園駅から直線に延びる歩道を進むこと5分くらい。

駅から天守閣に行くよりずいぶん先に到着する多目的ホールでございます。


今でこそコンサートなんかのイベントは大阪ドームで行われる事も多くなったけど、

一昔前までは大阪で大規模な室内イベントが行われるとなると

まぁ、まず間違いなくここ「大阪城ホール」での開催であったもんなんですね。


今でもしょっちゅうメジャーなアーティストさんたちのコンサートが行われているし、

なんちゅーか、東京で言う「武道館」的な立ち位置なんやと勝手に思っている。


そんな「大阪城ホール」を横目に見ながらさらに進むと


大阪城が見えてまいります。


外堀にかかる橋を渡ると現れるのが



青屋門


当時の姿を残す立派な門、


っと書きたいところやけど、残念ながら大阪城のほとんどの施設は

昭和20年の大阪大空襲の時に消失しており、ここ青屋門も戦後に復元された門なんやね。


まぁ、それでもこれだけの立派な門がある辺り、

やはり天下人、豊臣秀吉の居城であっただけはありますなぁ。


で、その青屋門をくぐってさらに進むと、



威風堂々とした大阪城が現れる訳でございます。


ま、この天守閣もやはり戦後のに復元されたものでして、

中に入るとエレベーターが設備されていたりして、

当時の雰囲気を感じさせない バリアフリーで時代に即した内装になっております。


で、おサルは子供の頃から割と最近まで、駅の名前からして、

大阪城に行くには「大阪城公園」駅が最短で正規のルートやろうと思っていたんやけど、

大阪城公園駅から天守閣方面に向かうこのルート、

つまり先ほどの青屋門をくぐって天守閣に向かうルートは厳密に言えば

「裏口」ルートである事に最近になって気づいてしまったんよね。


古今東西、お城の正門にあたる門は「大手門」(もしくは追手門)と呼ばれる。

ほんで、大阪城にもちゃんと「大手門」と呼ばれる門が存在する。


で、その「大手門」というのは大阪城公園駅から天守閣を挟んで真逆の方向に

あるんですわ。




大阪城公園のHPより。赤丸が大手門で青丸が青屋門。右端に駅が見える。


まぁ、子供の頃なんかはそもそもお城の「正門」がどれかなんて

これーっぽっちも考える訳もないのでもちろんしかたないんやけど、

実は生まれてこの方20年以上、習慣的に大阪城には「裏口」から入っていた

と思うとなんだかちょっといたたまれない。


せっかくなんで今回はぐるーっとお堀を回って大手門まで行き、

正々堂々と正門から大阪城を訪問してみる事にした。




こちらが大阪城の大手門。


残念ながら門そのものは改修中やったけど、

大きな通りがまっすぐに門に向かう感じはいかにも「正門」という佇まいである。

青屋門と、そこに通じる橋の幅と比べても、やっぱりこっちが「メインゲート」な雰囲気だ。


その大手門をくぐると左手側に大きな銀杏の木が見えてくる。



訪れたのはちょうど紅葉の時期で見事に色づいていた訳やけど、

実はこの木、大阪のイチョウの標本木と呼ばれる木で、

この木が全体的に黄色く色づいて来ると大阪のイチョウの紅葉が「見ごろ」を迎えた

という判断がなされるという重要な一本なのでございます。


ちなみに春に大阪の「開花宣言」の基準となる桜の標本木も、

このイチョウの木の奥に広がる「西の丸庭園」内にあるんよね。

この辺り一帯が大阪の季節の移り変わりを知らせる基準になっているんやねー。


んでもってついでに触れておくと、大手門をくぐって右手側にちょこっと進むと

こんな石碑が立っている。


石山本願寺推定地。


ほっとんどの人がこの石碑なんぞ気に留めずに、というかある事すら気づかずに

スルーして天守閣方面に向かってしまうんやけど、実は大阪という町の歴史を語る上で

けっこう重要なポイントやったりする。


今の大阪市内の一帯は戦国時代ごろは石山本願寺という

浄土真宗の大きなお寺が支配していた地域やったんやね。

宗教組織でありながらけっこうな権力を持っていたようで、

当時全国に領地を増やしていた織田信長の支配にも屈せず抵抗していたのですな。


結果的に織田信長に敗れて当時の寺があった広大な地域は徹底的に焼き尽くされ、

その跡地に「うちらが新しい大阪の支配者やで!」というお触れも込めて

信長の家臣であった秀吉が建てたのが「大阪城」という訳なのでございます。


実際に大阪城の築城が始まったのは本能寺の変で信長が暗殺され、

秀吉が天下人になる直前くらいの時期なんで、

天下の支配者たる秀吉の居城に相応しいように全国各地から第一線の職人が集められ、

当時の技術の粋を尽くした城普請が行われたのです。


ってな訳で大阪城にはこんなスケールのでかい石垣もあったりします。


「桜田門枡形の巨石」と呼ばれるもので畳36枚分、重さはなんと108トンもあるんやって!


天守閣と大阪城ホールには何度か行った事はあったけど、

今回あらためてお城の敷地内をゆっくりまわってみると、


1970年の大阪万博の時に埋められたタイムカプセルが城のド真ん前にあったり、

(5000年後に開ける事になってるんやってよ!)




豊臣秀吉を祀った神社があったり、

(なんか銅像でも卑しいおっさんな雰囲気でてるよーな気が・・・)


意外と知らない場所がまだまだあった事に気づいたのでございます。


桜やイチョウの標本木に、石山本願寺跡。

秀吉の神社や万博の記念物などなど、

お城の周りにはやっぱり大阪にまつわるものがわんさとありますなー。


そして何より、桜の時期くらいにしか来たことなかったけど、

秋もしっかり紅葉の名所になっている大阪城公園。



お城と自然美のコラボレーションは、やっぱし日本人の心に染み渡るのですよ。


テッパンの観光スポットやけど、なんだかんだと大阪観光では外せない場所やなっと

改めて思い知らされたのでした。