前回の続きで、茨城県つくば市平沢の古墳旅についてですラブ佐都ヶ岩山古墳(平沢1号墳)を見た後、坂を下り平沢2号墳&3号墳を見学しましたカメラ

上矢印平沢2号墳(通称・開山岩山古墳)は、墳丘が破壊されているのでわかりにくいのですが、小規模な円墳とされています丸レッド7世紀中葉~後半の築造レンチ

 

横穴式石室が南に開口虫めがね玄門は、2枚の石を中央で合わせるようにして組んであります照れ

上矢印石室は、長さ1.58m、幅1.95m、高さ1.6m四角オレンジ

壁は、全部1枚の石(雲母片岩)レンチ

上矢印玄室の中、玄門の内側から外を見たところキラキラ

玄門が花弁の形に見えますよねガーベラ

仏教の影響を受けて蓮弁(ハスの花弁)を表現したとの説、後世の改変説もありますあせる

上矢印2号墳を背にして山道を入っていくと、右手に平沢3号墳がありますキラキラ説明看板が出ていますOK

上矢印1辺19mの方墳で、7世紀中葉~後半頃の築造レンチ

(以前の資料では、円墳と考えられていました)

上矢印横穴式石室は、複室構造で全長4.15m四角オレンジ

上矢印前室内に立ち、後室を撮影カメラ

後室が少し高くなっていて、お地蔵様が祀られていましたお願い

上矢印しかし…石室内は虫がすごいです宇宙人あたま

虫嫌いの私は既に限界なので、息を止めて後室を見学あせる

肺が5つくらい欲しいです。息が苦しいです笑い泣き

上矢印後室の東側。1号墳、2号墳もそうでしたが、すき間がなく加工が高度!!

上矢印後室の西側。各壁は1枚の石ですびっくり

 

石室の前あたり、前庭部に奈良時代初頭の骨蔵器(高さ15.8cm、口径10cm)が追葬されていましたお願い

火葬が始まり、早くに取り入れた人がいたということですね!!

火葬って、みんな最初はどう思ったのでしょう。そんなことが気になってしまった3号墳でした照れ

 

(参考)筑波古代地域史の研究 昭和54~56年度文部省特定研究費による調査研究概要 1981 筑波大学