秦の始皇帝『兵馬俑』の謎

イキナリ余談ですが、今回の旅行中

ここ『兵馬俑坑博物館』がもっとも西洋人の出没率(?)が高かった。
西洋人の中でも、特にフランス人。

みなさん、立派な一眼レフカメラをお持ちでした得意げ

オバさん化が進んでる食いしん坊は、まっさきに正面の

ベストポジションを確保

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圧巻

ナニがすごいって、まずはその規模の大きさ。

発見された順に、


第1号坑・第2号坑・第3号坑と名づけられていて

現時点では第5号坑まで発見されているのだそう。



公開されているのは第1号坑から第3号坑までで、

もっとも規模が大きくて、


かつもっとも有名なのがこの第1号坑。


あらためて画像を見ても、圧倒される。

等身大の兵士が約6000体ですよ。

うちの近所の小学校なんて、

全校生徒100人いないとこもあるんですよ得意げ



規模もさることながら、

興味深いのは『なんのために作られたのか?』ってこと。

兵馬俑が作られた理由については

1死後も始皇帝を守るため
2秦王朝軍隊を後世に残すため
3殉死のかわり

等等の諸説がございます。



兵馬俑の顔は、どれをとっても同じものはないのだそう。

なんとっっ目


大量生産やオートメーションで作られたわけじゃなぃっあせる


しかも、それ一体がそのまま作られるわけではなく、

いくつかのパーツが組み合わさってできているのだそう。

想像を超える高度な技術UFO

なぜなら、寸法間違えたら部品がくっつきませんからあせる


兵馬俑は1974年まで、


2000年以上も地下に埋もれたままだったのです。

実はそれ以前、墓を作ろうと穴を掘った際に

一部掘り出されたことがあるらしい。

そのため、兵馬俑のある部分は破損していたらしい。

にしても、これだけの規模の遺産が


誰にも知られずにいたわけです。

始皇帝はこの兵馬俑を公にせずに


造らせたんです。


てことは?


完成した暁に、この兵馬俑建設に関わった職人や技術者達は

どうなったかというと??…

想像だけでも恐ろしい…

きっと、全員秘密を守るために殺されたんでしょうね。

これだけの技術が後世に継がれる機会も失われてしまったわけです。


なんのために??



多くのことが解明されている『兵馬俑坑』。



この時代、すでに品質管理がゆきとどいてて


一体一体、目立たない場所に


製造者の

『出身地』『名前』が記されているんだそう。
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不良品が発見されたら


『ドコドコのダレダレが作った』ていうのがバレちゃう仕組み。


すげー・・・・得意げ



ちなみに、製造者出身地は


西安よりもさらに西、咸陽が多いんですって。




おもしろいことに、この素焼きの兵士達は


1政府系の製造ラインと、


2民間の製造ラインと


2種類が確認されているんですって。


政府系のメーカー(下請け?)のものは


表情が厳しい・重々しい雰囲気が出ている、といった特徴。


民間系のものは、政府系と比べて


表情や体型が一般人ぽい、という違いがあるそうです。




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発掘された兵馬俑。


足の太さがまちまち なのは、


それらがまだ発掘途上であるかららしい。



どこまでが埋もれた土部分で、


どこからが兵士の足部分なのか、は


慎重に慎重に削っていかなくちゃいけないんだって。




長い中国の歴史の中で


それぞれの時代に代表的な工業製品があるんだけども、


秦の時代は『素焼きレンガ』の技術が優れていたそうで



兵士達はそれぞれ、厚さ4.5cm程度のレンガの上に


秩序よく並んでおります。


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発掘途中の兵馬俑




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発掘された兵士達は、それぞれに


発見された場所を記したプレートがつけられ


修復がすむと、発見されたその場所に並べられます。




第1号坑の断面。

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陣営はこのように組まれ、保存されたらしい。


2200年経った今、当然ながら『木』や『むしろ』の素材は


朽ちて残っておりません。
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間近で見る兵士達の顔は、


心なしか哀愁を帯びていて


あまりにも生々しい。



2000年以上の眠りから覚めた兵士達。


始皇帝の死後でさえも


いつなんどき、過酷な戦場へと送り込まれるやもしれない。


陣の最前列に配置された歩兵達は


身を守る鎧も盾なく、


見えざる敵の


弓矢の標的となる宿命を背負っています。