背中に子供をおぶった若い母が、自転車置き場で自転車を動かそうとしていた。

荷物を持っていたので、自由が利かず、うまく自転車を取り出せない。

瞬間、足がむき、声をかけて手伝おうとした。二三歩あるいて足を止めた。

歩く人の少ない暗い道。

やめよう。

変人扱いされるだろう・・・・と。


以下はバンクーバーでの話。

しばらくバンクーバーに滞在していて、よくトロリーバスに乗っていました。

ある日、バスの中で本を読んでいると、突然隣の男たちが立ち上がり、バスの外に速攻で出て行きました。

ん!なんだなんだ。外をみると、母親と幼児を乗せた手押し車、(アレ、何と呼ぶのだっけかド忘れしました)を二人の男が取り合うように手伝ってバスの中にいれていました。

よし。俺も今度みつけたら速攻で降りて手伝おう。


それからあの街には一年ほど滞在していまして、何度か同じ状況に出くわしました。

が、一度も席を立つことはなかった。

なんでか。

気がついたときにはすでに男達が行動に出ていたからです。

競争心を燃やし、ようし、「俺も日本に帰るまでに必ず」と奮起したけれど、願いかなわず。

常に気がついたら事は進み、誰かが外に飛び出していった。



バンクーバーの話しもうひとつ。

サイエンスシアター駅に向かって歩いていると、芝生の空き地を挟んで女性が見えた。

100メートルほどの距離だろうか。女性は駅から降りてきたばかりなのか、それとも人と待ち合わせなのだろうか。たったまま、俺のほうをじっとみている。

駅にはいりかけて階段をのぼろうとすると、女性が近づいてきた。

『この切符、まだ使えます。よろしかったら、どうぞ』。そう言って俺に切符を手渡してその場を歩き去った。

この人は俺が駅に向かって歩くまで、ずっと待っていたのである。


ここ20年で日本のなくしてしまったもの。

バンクーバーでよく見かけました。

もっとも大切なことを日本はなくしてしまった。

それは共同体意識。共に生きているという共生の理念。


カナダのブリティッシュコロンビアのある街で、仕事仲間と歩いていました。

車のポジションライトがつきっぱなしになっている。

それに気がついた同僚は条件反射のごとく、車に近づき、ドアを開け、車に乗り込み、ライトを消しました。

で、再び歩き始め俺と会話の続きをした。


いろんな国を旅して思うのは、こんな細かいことが積み重なって良い国、居るだけで幸せになる国、殺伐とした国に別れていくのだろうということです。


良い国、悪い国がどうやって作られるのか。

思えば実に簡単。なんと幼児的な事を言っていいやがる、と思う人もいるかもしれないけど、これは絶対的真実だと思う。

人に嫌なことをされて、ソレで頭に来てフンガイし、他の誰かにうっぷんをぶつける。これがドミノ倒し状にウイルスの増殖的に広まったのが殺伐なる国。いまの日本です。

人に喜ばしいコトされて幸せな気分になり、自分も他人に喜ばれることをする。これが次々に伝わって・・・素晴らしい国になっていく。アイルランド、カナダ、ニュージーランドが思い描ける。



やっぱもっとも大切なのは共同体の意識だろう。

思い出した。

『これからは俺達には二つの道しか残されていない。バラバラになって飢え死にするか、それとも団結して乗り切るか』。

ナニかの映画の主人公が言っていました。