デパートで迷子になる。 | もしかして、人生が変わる日。

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トラウマ治療についての、あれこれを。

 

月(つき)と申します。

 

思いがけず、カウンセリングルームでトラウマ治療を受けました。

 

自身の記録として、ブログに刻んでいます。

 

 

 

 

9度目のトラウマ治療が終わり、インターバル期間中です。

 

次の予約はちょうど3週間後です。

 

治療の体感。

 

昔より少しは生きやすくなっている気もします。

 

苦しい記憶が楽になっているような・・・、軽減されている感覚があります。

 

最近はなぜか、子供の頃のことをよく思い出す。

 

それは、たまたま観たテレビの話題であったり、街でふと目にした情報であったり。

 

ささやかなことがキッカケとなり、子供の頃の記憶が蘇るのです。

 

そのほとんどは、不条理に母親にキレられた出来事だったり、親から怒られたりしたもの。

 

不思議と、叩かれた記憶はあまりでてきません。

 

母親はデパートが好きだった。

 

田舎暮らしだったから、唯一の娯楽がデパートでの買い物だったからなのか。

 

開店前のデパートへ、二重扉のガラス戸の間にあるソファーに座って待つ。

 

時間になったらガラス扉が開き、デパガが深々と頭を下げて挨拶をしたら、入店の合図です。

 

何を見て回ったのかは覚えていません。

 

ひとしきり買い物した後、必ずデパ地下の量り売りキャンディコーナーへ立ち寄る。

 

好きなキャンディを、妹とそれぞれ選ばせてくれてました。

 

もちろん値段制限はあったはずです。

 

この時だけは、好きなものを選ばせてもらえてたのを覚えています。

 

普段はおやつもすべて母親の手作りで、子供に意思決定はありませんでした。

 

一生懸命、欲しいものを値段以内であれこれ選ぶ時間。

 

何を選んだのか?どこで食べたのか?は思い出せません。

 

一度、デパートで迷子になりました。

 

バーゲン会場だったのか、混雑しており、気づくと逸れていたのです。

 

大人に助けてもらいます。

 

「お名前言える?お母さんの名前は?」と尋ねられ、すべて流暢に答えます。

 

こんな時でも、パニックにならず、母親の名前をしっかり言える。

 

できた子供だ、と褒められると思いました。

 

デパートで迷子になった子供達は、自分の名前すらろくに言えず、ただ泣きじゃくっているだけだったから。

 

迷子になったけど褒められる。

 

館内に母親のフルネームが鳴り響きます。

 

ほどなくして、母親が慌ててやってきました。

 

鬼の形相で。

 

褒められると信じていたわたしの思惑は、あっさりと覆されました。

 

母親の名前を大々的に館内放送されてしまったことを、なじり叱られました。

 

とても悲しかった。

 

親とはぐれた不安もだけど、それ以上にさびしかった。

 

母親からしちゃ、自身の名前を轟かされたことは、子供を見失ってしまっただめな母親のお手本みたいな制裁のように感じたのかもしれません。