ぼくの家に劣等感を感じる | アダルトチルドレン 社交不安を                      やめる心理カウンセリング

ぼくの家に劣等感を感じる


初めてお越しいただいた方へ


当ブログでは多少の専門用語が出てきます。

最初にこちらをみていただけるとわかりやすいです。

      ↓

心の悩みを作る禁止令とは


アダルトチルドレンの為のトラウマサイコセラピー


「僕の家は重要ではない」というタイトルですが、
初めて見た人には違和感を覚えさせるような
ネーミングですね。書いた後で気づきました。
何言ってるかわからない表現です。

元々禁止令(injunction)を翻訳した人が
「Don't be important」を「重要であるな
と訳したのですが、この訳ではニュアンスが
まるで伝わらないような気がします。

かといってほかにいい訳も思いつきませんが。

「重要であるな」という禁止令を決断する場面
ですが、親から否定されていたとか、他の兄弟
姉妹だけかわいがられたとか、勉強できないと
ダメとかの条件付きで認めてもらえたなどが
一般的です。

ところが同じ「重要であるな」でも今日お話し
する例では、ちょっとかわった決断の仕方を
しています。

なぜか決断の場面とおぼしき、自分が小さい
頃の両親を前にしても、クライアントさんにあまり
葛藤が起きてきません。

両親の誰も「お前は価値がない」とは言っている
ような感じがしないのです。

でも、人前に出ると、やっぱり自信が持てないとか
自分が人より劣った感覚があったり、人に対して
何か負い目を感じていたりします。

ためしにエンプティチェアに小学校くらいの時の
クラスメートがいると想像してもらうと、急に自信が
なくなったり、何か自分がみんなより劣った感じが
してきます。

しかし、学校でいじめのような事件でもあったのかと
いうと、それらしい出来事もない。

では、どこでこんな感覚を感じるようになったのか。

こんな例を聞いたことがあります。

父親が廃品回収の仕事をしていたのですが、
そのことを母親が子どもにあまり誇れる仕事では
ないからと「家の仕事は学校の友達には言っては
ダメだよ」と言い聞かせていた例です。

大人だと家の問題は両親の問題であって、
自分の価値とは関係がないときちんと切り分け
ができるのですが、子どもの場合は
アイデンティティが確立しているわけもなく、
自分の家は価値がないのだと、人と比べて
劣っているのだと教育されてしまうと、その
とおりの感覚を子どもは持つようになって
しまいます。

同時に子どもが友達の前で自分の家のことが
ばれないかと隠していたり、不安になっていると
いうことはとてもつらいことであります。

家が貧乏だとか、お父さんやお母さんがアル中
であるとか何かの病気であるとか、両親が離婚
しているとか、そういったことを気にしている
子どもたちがいます。

家が貧乏であるとかはそれ自体が問題ではなく、
そのことがよくないことであるとか、劣っている
ことであると誰かが子どもたちを教育してしまった
ことが問題なのです。
(皆が皆そのように決断するわけでは
ないにしても)

少々家が貧しくても、そのことを家の人が誰も気
にしていなければ、子どもは「私の家は重要では
ない」と思うようにはならないでしょう。

私も最近は「重要であるな」系の問題を解決しよう
としているのですが、確か母親が近所の人と話を
している時に「うちの子はその点ダメだよ」といって
いるのを聞いたことがあり、その時のイヤな感じを、
思い出しては、決断したのはこの場面だこの場面
だと思っていてセラピーを受けるのですが、それほど
強い葛藤を覚えないので不思議に思っていました。

小学校のクラスメートの前で感じていた息苦しさ
とはくらべものにならないくらい軽い感じなのです。
(それでも十分いやな感覚がありましたが)

私の問題も本当は「家は重要でない」のほうだった
のかもしれません。

話が変わりますが、最近聞いた話題なのですが、
「重要であるな」という禁止令を100%解決するため
にはどうしたらよいかというテーマだったのですが、
再決断療法のセラピーをたくさん受ければそれは
可能なのかというと、答えは否なのだそうです。

再決断療法のワークでは問題を気にならない程度に
まで減らすことはできます。

ほとんどの人にとってはこの時点で問題は解決と
いえます。

ところが、完全になくすところまではいかないようです。

本当の意味で自分が重要であるとか、かけがえのない
存在なのだと感じられるようになるためには、いくつかの
ステップを経るのですが、最後に自分を生涯大切に
してくれる人に
目を向けて、その人を愛することなの
だそうです。

愛することで本当の意味での自己重要感というものを
感じられるようになるとのことです。

逆にプライドがある間は本当の意味で人を愛しては
いないのだとも言えそうです。

プライドは本当の自尊感情とはいえないものだからです。

ところで、その話を聞いたときに、同席していた女性の
方々に「旦那さんを愛して
あげてくださいね」と言ったの
ですが、「旦那さんですか」と、異口同音に
皆さん拒否
反応を示していたのは何故なのでしょう。


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