今日も昨日同様、餃子弁当。

 

・キャベツの千切り
・餃子
・卵焼き
・市販の佃煮
・蓮根の煮物
・牛蒡の煮物
・シラスの酢和え
・菜漬
・白菜キムチ
・ご飯
・胡麻塩ふりかけ

#お弁当 #お弁当作り #お弁当記録 #自炊 #節約 #貯金 #弁当 #継続

 

 

 

 お弁当のレイアウトとして、上がメインディッシュで、したに行くほどサブ的なおかずの流れ。

 

 メインのおかずがない時…、困った時の切り札、忙しい時とか、お弁当の事をあまり考えたくないとき「餃子を焼く」という場合が多いですね。

 

 

 あとは、タッパーの食材を使い、空きスペースは掃除したのみで、食材の追加は無し。

 

 

 

 

 というか、このタッパーの役割は、IT用語の「バッファ」的なものだなと、以前から何となく思っています。

 

 メモリにバッファを確保して、余分に作ったおかずを蓄えておき、通信処理(お弁当作り)をスムーズにするようなそういう役割が、このタッパー。

 

 C言語に例えると、malloc関数メモリを動的確保(バッファリング処理)をして、確保したメモリ内に余分に作ったおかず を一時的に確保しておき、必要に応じ、バッファ内からおかずを取り出して利用して、ゆとりが出来たら、また、おかずを詰め込んで一時保管しておくみたいな、ほんとにそんな感じだと思います。

 

 古くなって使えなくなったおかずが出来た場合、メモリをクリーニング。

 

 料理にも、バグはつきもの。(笑

 

 自分がパソコンの先生だとして、生徒たちにバッファリング処理を別の物に例えて説明するとしたら、そういうたとえ話をするかもしれません。

 

 無論、矛盾点はあると思いますが、大まかなイメージとしてはそんなに間違ってない気はします。

 

 タッパーにポインタ的なアドレスを書き込んでみたり。(笑

 

 ただ、Pythonとかだと、変数がポインタのようでポインタでなかったりして少し厄介ですが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談は置いておいて、後片付けをして終了。

 

今日でなんとか仕事の目途が一応たったので、明日・明後日は、キャンプ道具のチェックをしたり、ガソリンを入れて、タイヤの空気圧チェック等、車の点検をししたり、旅行の準備。

 

休まず続けてきた、お弁当作りも明後日で、一旦ピリオドを打つことになると思います。

 

 

 

お弁当作り「継続日数」と「節約金額」


ネット(Twiter)に最初にアップした2022年2月2日からカウントして、
毎日休まず継続中で、現在までの合計日数は 261 日。




ランチ代一食 500 円として、お弁当の作成費用は 100 円以下で、一食 400 円の貯金をしたとして計算すると

 

261 日 x 400 円 x 2 食 = 208,800


現在までで、合計 208,800 円の節約&貯金になっています。

 

 

 

流れがスムーズ過ぎて怖い

 
 過去記事でも書いてる通り、11月3日は人生初となる、出雲大社の「神迎神事」に行く予定で、ここ最近、全ての段取りはそれに合わせて進んではいますが、流れがスムーズ過ぎてちょっと怖いぐらいですね…。
 
 宿泊場所も、11月3日だけ何故か空白で部屋が空いてたのも…。
 
 嘘じゃないかと思われるので、スクリーンショットでも取っておけばよかったなあと…。
 
 というか、365日ゴミ拾いを続けてきた中で、風邪をひいたり、体調を崩したりなどで、一日でも休めば、日程が当然ズレるわけで、11月3日の神迎神事には、行けなかったことになります。
 
 その他、仕事の問題もあるので、父親も本当は、一緒に出雲まで行きたかったようですが、仕事と用事でいけなくなったりなど。
 
 何となくですが、出雲大社は、行こうと思っていける場所でもない気はしてて、C言語とかIT系にどっぷりつかって生きてる人間からすると、非科学的でオカルトチックな話題はあまり好きではないのですが、何らかの因果関係がありそうな気はします。
 
 
 過去、職場で教育関係の仕事に携わっていた関係で、上司に「講師をやれ」と頼まれて、嫌々やってましたが、そういう過去の実績もあって、今年、子供たちのパソコン先生をやって欲しいという仕事の依頼がきたりなどしましたが、そういう因果関係も含めて、自分の人生の生い立ちだったり、それを含めて今後どう生きるべきか?的な、自分の人生の方向性の節目として、来月、出雲大社へ行くのではないかと何となく思っています。
 
 というか、余り深く考えても仕方がないので、年に一度の旅行として、ドライブやキャンプ、外食で美味しい物を少し食べたりなど、旅行を楽しみたいとは思っています。
 
 
 あまりネガティブな事ばかり言うのもあれですが、幼少期から余りいいことがなかったし、現在までもそうなので、早めに人生終ってくれた方が一番幸せな気がしないでもないです。
 
 とはいえ、努力して今の部屋だったり、自分の車を買ったり、仕事や収入があるわけですが、努力しても結果が出ない人も世の中には星の数ほどいるわけで、ITの時流に乗れたことだとか、幸運が重なって今があるのだとは思います。
 
 いろいろな成功者が、口をそろえて皆同じように言うように、
 
 「運が良かった」
 
 ただ、それだけだと思います。
 
 ゴミ拾いをすると運が良くなると言いますが、「運」というのも努力次第でよくなるものだとは思います。