おはようございます。

早朝のゴミ拾いは、今日で256日目。
トータルの継続日数は、300日目。

 

自動プログラムで勝手にカウントしてるので日数が300日になった事に、今朝気づきましたが、300日も来ると、達成感があるわけでもなく、何の感動もないですね。。

 

100日の時には達成感がありましたが、それ以降はただ過ぎ去っていく通過点でしかない感覚です。

 

 

余談はおいて置いて、今朝の気温は、21度で、気温が急激に低下。

 

今までどんなに気温が下がっても25℃ぐらいが最低ラインだったので、それをかなり下回ってくると、夏が終わり、秋が来たようなそんな感じでした。

 

薄着では肌寒い程。

 

 

 

 

 

天気は今朝も「曇り」、真っ暗で見えないのでアレクサの天気を目安に。

アレクサ予報では、曇り 所々 晴れ。
昨日の予報は当たり。

 

今朝は、またいつもの幹線道路でゴミ拾い。
 

 

 

 

 

 

2022-08-29に回収したゴミ

 

ゴミ拾いをしつつ、折り返しポイント。

今朝はゴミ無し。

 

 

ただ、その先で、多数のゴミ。

 

 

1つずつ丁寧に拾い集め。

 

 

最終的なゴミの量はこれだけでした。

 

 

 

 

 

 

袋ゴミの中を確認

 

プラ容器の中に紙を入れて、紙テープで巻いて小さくしてるような物が多数。

 

 
もう1つは食品関係。
 

 

 

ゴミを水洗い

 

いつものように分別、清掃、水洗い。

 

 

 

 

ポイ捨てという洗脳

 

今朝は、急に気温が下がりましたが、ポイ捨て犯も一応、人間だとは思うので、気温の変化によって、ゴミがどう変化するのかも注目したいところ。

 

先日、ゴミのポイ捨てに関して、ネットの記事を読むと、ゴミを捨てる人の心理について言及していて、

 

人間的というより動物的だと書かれており、一理あると思ったりました。

 

 

 

 

野生の猿にバナナを与えると、食べ終わった後、その場にバナナの皮をポイ捨てするのとホントに同じレベルだと思います。

 

 

理性的ではなく、感情の赴くままに生きてる感じで、動物的というのは、的を射てる気はします。

 

でも、そう単純でもないのが人間だったりもしますが…。

 

この複雑な社会の中で一応、生きてるわけで、動物的とはいえ少なからずそういう影響は受けてると思います。

 

自分も、こうして毎日休まず、野生の猿のような人が、投げ捨てたゴミを拾ってるわけで、そのゴミから少なからず間接的に影響を受け続けているは紛れもない事実で、思考力であったり感覚がマヒしてくるという、洗脳をうけてるとは思います。

 

事実、自分自身、ゴミを拾い始めの頃に比べて、どんどん病んでいきましたし。

 

過去記事でも言及していますが、自分のように一人ではなく、複数人でゴミ拾いをする場合は、この限りではないと思います。

 

福島県でゴミ拾いをされている「ブンケンさん」などは、鈴木ドライバーという強力な助っ人であり、仲間がいるのは、非常に心強いでしょうし、辛いときは励ましあって困難を乗り越えていきますが、自分のように一人でゴミ拾いをしてる場合は、そういうものが一切ないので、自分一人でどうにかするしかないです。

 

 

 

 

一人でゴミを拾うという事は、少なからず、無意識にゴミと向き合う事になり、それは間接的にポイ捨てする人と関わり続けるという事だと思います。

 

 

ある種の鈍感力のようなものがないと、一人でゴミ拾いをすることは難しく、感受性が高い人は、一人でゴミ拾いはあまり向いていない気がします。

 

どう考えてもポイ捨てゴミには、ポジティブなエネルギーは含まれていないので、負のオーラの塊である、ポイ捨てゴミを拾い続けていけば、当然、心・精神を病み、うつ病や、精神病になりかねないです。

 

そうならないためには、真逆のエネルギーを得る何かが必要な気がします。

 

この辺の事は、このブログを書き始めた初期の頃にも、早い段階で言及はしていますが…。

 

Twitterなどで、仲間と励ましあいゴミ拾いをしてるのは、そういう事なのかもしれません。