おはようございます。
早朝のゴミ拾いは、今日で205日目。
トータルの継続日数は、249日目。
今朝の気温は、24度。
天気は雨、といっても小雨。
気温は低いですが、蒸し暑い朝。
今朝も、昨日と同じ幹線道路でゴミ拾い。
タイトルでも書いた通り袋ゴミが2つ落ちていて、全体的なゴミの量は増加しました。
今の道路へゴミ拾いの場を移して、まだ数日なので、そんなに簡単にゴミが無くなることは無さそうです。
前の道路のゴミが、無くなるまでに、半年の期間を要したので、今回もそれぐらいの覚悟は必要だと思います。
2022-07-09に回収したゴミ
今朝、回収したゴミ。
袋ゴミの中を確認
ゴミを水洗い
いつものように分別、清掃、水洗い。
袋ゴミ増加
冒頭でも書きましたが、ゴミがやや増加しました。
人生と同じで、1日や2日で、何かを成し遂げられるほど世の中、甘くはありませんので、今まで通り、地道にコツコツとゴミを拾って行くしかなさそうです。
昨日は、体調を崩して、昼前に横になって休んでいると、携帯の速報が入ったので見ると、安倍元総理大臣が銃撃されるというショッキングなニュースが流れ、横になりながらその情報を追っていました。
体調が優れず、起きて仕事をしていましたが、体調が優れず、寝たり起きたりの繰り返しで、15時半ぐらいになって漸く体調が戻り、午後からは、親が新車で車を購入したのが納車されて、親からの依頼も受けていたので、カーナビを車に設置したりしていました。
こんな感じで、ナビの取り付け作業。
配線を分配する為のギボシコードが足りないのに気づき、途中で家に戻り、配線を自作。
GPSアンテナや、レーダー探知機の配線処理をして、カーナビと、レーダー探知機の取り付け完了。
比較的短時間で終わったので、親も少し驚いているようでしたが、基本的に最近のクルマは、専用ハーネスの配線を繋ぐだけで動くようにはなるので、そんなに難しくはなかったりします。
ただ、ブレーキや、車速を取る場合は、車種によってやや面倒かもしれません。
テスト走行して、GPSを受信し、ナビが機能する事を事確認しつつ、序にスーパーに立ち寄り買出し。
ハイブリッド車なので、燃費は良いようです。
仕事用の軽バンなので、これから仕事で使われると思います。
あとは、バックカメラや、テレビアンテナ、ドライブレコーダーを取り付けたら終わりですが、今日はゆとりがあればその辺の作業をするかもしれません。
帰宅後、家の仕事をして、家事をして一息つくと、安倍元総理と訃報。
治療に時間がかかっていたので、助かる物だと思ってたのですが、まさかの結果に、ショックを受けました。
「無敵の人」と「因果応報」
安倍元首相死亡の情報が流れると同時に、ネット上では「無敵の人」というWordがトレンドになっていましたが、誰しも追い詰められたら、無敵の人になる可能性はあると自分は思っています。
学生時代に、苛めを受けていた頃は、クラス全員が敵だと思っていました。
不登校になりそうになり、休みながら学校に行っていましたが、イジメていた相手が休学になり、それで何とか卒業できたという事があります。
学校は、自分にとって刑務所みたいなもので、良い思い出はほぼ何もないです。
家に帰って、パソコンでゲームを作るのが楽しみでした。
その時に、自分も無敵の人になっていた可能性は、否定できないです。
成人式や、同窓会などは、無論、一度も参加していません。
行く理由が何一つないので。
ゴミ拾いをしていても、拾っても拾っても毎日投げ捨てられ続けるゴミをみて、学生時代の苛めを受けた体験を思い出して、ゴミを投げ捨てられる人に苛められているようなそんな感情を抱いてはいました。
なので、ゴミを捨てる人に対して、過去記事でも書いた通り、怒りの感情を抱いたり、諦めや、絶望感、無常感と、ゴミを拾い続けていく中で感情が変化していき、でも、怒りの感情は、自分に返ってくるので、自分自身を苦しめる諸刃の刃にもなるので、「赦し」という境地に達し、それでも、あくまで理想でしかなく、100%相手を赦す事など不可能に近い為、ゴミを拾い続けていく中で、赦しのトレーニングをしてるようなそんな感じです。
昔読んだ本の中に、自分と同じような苛めを受けている人のエピソードで、相手に「うんこ」をぶつけられたようで、うんこを投げつけられて家に帰った後、家族から
「うんこは、洗ったらとれる」
「人を恨んではいけない」
という、一文が、脳裏に焼き付いていて記憶から消えることが無く、ゴミ拾いをしてる時に、度々その内容が脳内で繰り返し思い出されたりしています。
同様に、歴史的名著である、VEフランクルの「夜と霧」の中で、ガス室で心されるまで追い詰められても、その中で、
「人はガス室の中で祈る事が出来る」
という現実を目の当たりにして、そういう過去読んだ本の内容が、頻繁ではないにしても、ゴミ拾いをしてる時に、度々思い出されて、それを咀嚼するように噛み締めながら、ゴミを拾ってたりします。
具体的には、人糞や、尿入りペットボトルを拾う事は、度々あり、そういう時や、拾っても拾っても投げ捨てられる袋ゴミを見た時に、上記のような過去読んだ本の内容を思い出したりします。
自分の人生を唯一、救ってくれたのは、「書籍」だったので、専門書や、実用書、上記のような本の内容が、自分の心の糧になり、経済的にも精神的にも自分を救ってくれ、今の自分があります。
自分にとっての救世主は、「書籍」なので、本だけは絶対に粗末にできないです。
安倍元総理を殺害した人も、自分と同じように本を読んでいたらもしかしたら救われたのではないかと、ニュースを見ながら、そんな風に思ったりしもしました。
過去記事でも書いたように、ゴミ拾いが運拾いであるならば、逆も然りで、因果応報というのは、この世にあるのではないかと思ってるので、殺す方も、殺される方も、何らかの因果があり、それが自分に返ってきて、相殺された結果なのではないかと、そういう風に思ったりもします。
人の目は欺けても、天の目は欺けないです。
自分がやった事の報いというのは、必ず、時間がかかっても自分の元に帰ってきます。
自分や、他人の物差しではなく、天の物差しで、因果応報は発動します。