おはようございます。

 

11月1日からはじめた、ゴミ拾いも今日で2か月達成。


早朝、AM4時からのゴミ拾いも16日目。

最近の起きる時間は、AM3:30 頃で、水道水で顔を洗い4時ごろ出発してた物の、4時丁度に出発する必要もないので、早めに出て早めに帰ろうと、少し早い時間に出発。


今朝の気温は、4度。
凍結するほどではないにしても、風がものすごく強いので、別の意味で厳しい朝。



道路を走ってると、風の影響で、木の枝が折れて道路の中央に横たわっていたり、落ち葉が、宙を舞っていたり。
 

今朝は、メインルートのゴミ拾いをした後、早朝5時前に、地元のお寺で参拝してきました。

 

その後、母方のお墓へ5時頃に行き、お墓参りをした後、父方のお墓へ行き同じく参拝して5時過ぎぐらいに帰宅しました。

 

2か月も、毎日休まず、ゴミ拾いを続けてるので、地元の道路にはゴミがほぼなくなってきてる物の、ごく一部の人だけが、熱心に毎日ゴミを捨て続けるようで、この2か月、ゴミと向き合いつつづけて色々なことがわかったりしました。

kotlinでスマホアプリを作るようになったきっかけもゴミ拾い。

 

書きたいことは、色々ありますが、ここはゴミ拾いブログなので控えます。

 

 

2021-12-に回収したゴミ

今朝、拾ったゴミはこれだけ。
ただ、今日は、年末のせいか、クルマが外をあまり走っておらず、その影響もあってか、ゴミが少なかったです。

 

空き缶3つは、別ルートを走ったのと、ゴミ拾い後、5時頃に、お寺や、お墓参りに行き、徒歩でやや歩いたので、その時などに回収したゴミです。
道路脇の溝などをライトで照らすと、結構ゴミが落ちてますね…。

写真は、今朝5時頃の物で、外は一応蛍光灯で明かりがつくので、スマホの設定と合わせて撮影してみましたが、結構明るく撮れるものですね…。
ちなみに、空き缶を1つ横にしてるのは、風で転がっていかないようにするため。

 

 

今年最後のゴミは、これだけでした。

明日の元旦もゴミ拾いやります。

 

ゴミを水洗い

大晦日も、普段通り水洗いして、乾かします。

 

 

 

大晦日の早朝5時前に「墓参り」と「お寺参り」

 

メインルートのゴミ拾いを終えて、今日は、少し早めに切り上げて、地元のお寺と、父方、母方のお墓参りに行っています。

 

早朝5時に、お寺と、墓参りをしたのは、人生で初めてかもしれません。

 

外は、真っ暗ですし、スマホをライト代わりに、照らして、道路脇の溝や、川に落ちたりしないように、ゆっくり歩きつつ、もはや、生活習慣となってしまった、ゴミ拾いを、移動中も無意識に継続。

 

その結果、空き缶3個を道路脇の溝や、草の茂みで見つけて回収しています。

 

 

 

 

「そこに、ゴミがあるから」

 

2か月間、ゴミ拾いを続けたことで、ゴミを見つけたら拾うというのが、当たり前になってしまいましたね・・・。

 

何故、山に登るのかと同じで、

 

「何故、ゴミを拾うのですか?」

 

と聞かれたら

 

「そこに、ゴミがあるから」

 

と、即答すると思います。

 

理由を聞かれたら答えらえないですが…。

 

「ゴミ拾いって、無意味じゃないですか?」

「ゴミを拾ってもまたゴミは増えますよね?」

「なぜ、そんな不毛な事を毎日毎日続けているのですか?」

 

と聞かれたら、返す言葉に戸惑いますが、

 

あくまで、今の自分として言葉を返すとしたら

 

「人が、嫌いだから、ゴミ拾いを続けるんですよ。(笑)」

 

そう答えるかもしれないです。

 

ゴミを作り出してるのも、生み出してるのも人で、地球環境を悪くしてるのも人で、それで、何の罪もない動植物が被害をうけて、人さえいなければ、地球は平和だったのに、人のお陰で、汚染されつづける。

 

ゴミに罪は無いです。

 

ゴミだって、ゴミとしてこの世に生まれてきたくなかったのではないでしょうか?

 

だとしたら、本当にゴミなのは、人間です。

 

それが、ゴミ拾いを2か月続けてきて、導き出した1つの答えです。

 

ただ、人は、そのゴミを見て学ぶこともできると思います。

 

ゴミから学ぶ事が出来ない、愚かな人間こそが、ゴミなのかもしれないです。

 

ただ、人は、変わる生き物です。

 

赤ん坊が、赤ん坊のままだとしたら、言葉も喋れないまま大人になり、そのまま老いて死んでいきます。

 

人は、成長する生き物で、学ぶ生き物です。

 

日本語という、世界の中でも難しい言語を使いこなせるようになってるのですから、学習できるはずです。

 

愚かでありながら、愚かではない、人間なのですから、学習できるはずです。

 

ただ、押し付けようという気もないし、啓発活動をするつもりもないです。

 

来年も、淡々と、ゴミを拾いながら、社会と人を見つめていきます。