おはようございます。

 

今朝の四国地方は、青空の広がる晴天で、風も穏やかで、静かで気持ちのいい朝です。

やっぱり、朝の空気が一日の中で一番、澄んでいて気持ちがいいです。

とはいえ、やる事があるので、早朝6時前に起きて、慌ただしく動いています。

 


 

 

 

2021-12-8に回収したゴミ

 

昨日回収したのはこれだけでした。

 

 

 

財布を落としたポイントを偵察するのが日課になってますが、ゴミは増えていませんでした。

 

先日、親と二人で、ゴミをほぼすべて回収して、綺麗になったので、ゴミを捨て辛い空気感が出来たかもしれません。

 

 

 

「光」と「闇」、「陰」と「陽」

 

冒頭で朝の空気が一番澄んでいていいので、

 

「朝が、一日中ずっと続けばいいのに・・・」

 

とか思ったりしたのですが、相反する2つがあるお陰で、互いの存在を認めあえるのだと思います。

 

 

昔、何もかも上手くいかず、人生のどん底を経験した時に、母親が、色々な人を探してその中の一人で、中国の四柱推命鑑定をしてる方をみつけ見てもらったことがあります。

 

その人も、人生、悪い事が続き、どん底を経験したようで、年配のおばあさんでしたが、色々あって一人暮らしをしてるようです。

 

過度に占いを信じるわけではないですが、見てもらうと、生まれてからずっと、大運が悪いようで、命式の中にその特徴は出ていましたね…。

 

中学時代が輝いていたと書きましたが、部活で結果を出しただけで、私生活は結構ボロボロでした。

 

 

それから、自分でも勉強してみようと、四柱推命、九星気学、陰陽五行、易学など、芋ずる式に本を読んだりしました。

 

 

四柱推命では、悪い時期や、悪い相性というのは、必ずしも悪いというわけではなくて、その辺が面白く、中国易学の思想的を、本を読んだことによってある程度理解して、自分の人生にも影響を与えたととは思います。

 

余談ですが、漢方薬の考え方も、陰陽五行論ですべて考えて作られてるようで、その辺は知らなかったので何かと勉強になりました。

 

こういう類の本を読んでいくと、安岡正篤氏の本にぶつかるのではないかと思いますが、氏の本も結構読んでます。

 

「易と人生哲学」などの本は、何度か読み返したりしました。

 

「易を知る者は占わず」 という言葉の意味が、本を読むとわかるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

「罪」と「罰」

 

ドストエフスキーの名作「罪と罰」ではないですが、ラスコーリニコフが、金貸しの婆さんを殺害して、当初考えていた目的とは別の事が起こり、物語が始まりますが、作中、ラスコーリニコフの心理描写がリアルに描かれていて、罪を犯した事に苦しみ続けます。

 

それと同じかどうかは分かりませんが、財布を盗むというのもまた1つの罪だと思います。

 

 

 

 

自分も過去に、ペットボトルを道路脇に置いて帰るという事をしたことがありますが、そういう罪の意識が、今のゴミ拾いの1つの原動力だったりします。

 

時効」という言葉がありますが、この言葉を聞いて、ラスコーリニコフを思い出しますね…。

 

 

自分がもし、お金に困っていて、財布を盗んだとしたら、その時は良いですが、心に纏わりつくように、罪を犯した苦しみが消えなくなると思います。

 

それを考えると、例えお金に困っていても、財布は盗まないと思います。

 

 

先日の記事で書いた、経営者の女性の話で、イジメをしていた人が、同窓会で再開して、イジメていたことを覚えてないのと同じで、罪を犯しても罪の意識というのを感じない人も世の中にはおられると思います。

 

 

今回、財布を盗んだ方が、どちらに属するのか分からないですが…。

 

 

いずれにしても、物を盗むという事は、人生にとって結構な比重を与える出来事になるとは思います。

 

 

それが、例え、悪意がなかったとしても。

 

 

手塚治虫先生の「火の鳥」みたいなもので、因果応報的な物は、個人的にはあるのではないかと思っています。

 

 

逆を言えば、自分が、財布を失ったというのは、過去の自分の罪に対する「罰」なのではないかとも言えます。

 

 

という事は、財布を盗まれたおかげで、救われたといえるかもしれません。