1996年
とある春のAM08:00
鼻先をくすぐる何かが気になり目を開ける
見慣れない天井
(どこだったっけ…)
この春から一人暮らし
それに気づき安堵する
早くこの光景にもなれないといけない
起き上がろうと身体に意識をした時に
左半身に重力を感じる
見ると女が寝ていた
鼻先をくすぐった{何か}は女の髪の毛であった
女は裸であった
気づくと自分も裸であった
(誰…だったっけ…)
取りあえず
左手を女の身体から抜き
軽く着替えを済まし
念の為に部屋を確認する
(やっぱり俺の部屋だよな…)
何か腹に入れようと
キッチンに行くと乱雑な光景がそこにはあった
つぶれた缶チューハイ
ポテトチップス
唐揚げやら焼鳥
そして脱ぎ捨てたままの洋服…
全てが無秩序に散乱していた
トースターに食パンをセットして片づけ始める
片付けが終わりに近づいた頃には
香ばしい匂いがし始めていた
(この下着と服は…)
女の眠るベッドに投げつけて一段落
冷蔵庫からマーマレードを取り出して無造作にトーストに塗りたくる
前までは怒られたが
今はどれだけ塗りたくっても注意する人間はいない
トーストを頬張り
満足そうにカップにコーヒーを注ぐ
(で…誰だっけ…)
テレビのニュースを横目に昨日の状況を思い出す
高校時代の友人に誘われて合コンに行く
飲んで…
現在
{飲んで}と{現在}の間が知りたいが
全く記憶が戻ってこない
(しかしよく寝てるな)
今日の午前は授業が無く
買い物に出掛けたいのだが
微動だにしないベッドを眺め軽く息を吐く
テレビでは占いのコーナーが始まる
意識せず見つめていると
自分の星座が
1位か12位かまで残る
CM明けの発表を楽しみにしていると
ベッドで動きがあった
「…ン…」
軽く伸びをして起き上がる女
こちらと目が合う
やはり見覚えがない
『…服…そこにあるから…』
「…!」
女は自分が裸である事に気づき
すぐさま服をベッドの中に引きずり込み着替えだす
テレビは自分の星座が最下位だと告げてきた
しばらくすると女が着替え終わり
こちらに近づいてくる
テレビから目を離し
女に視線を投げ掛けた時
それは起こった
乾いた音と共に
視線はテレビに戻る
一瞬とまどうが
頬に感じ始めたじんわりする熱に
何をされたか理解をした
もう一度女の方を向くと
「最低…」
との言葉だけ残し
女は出ていった
一人になり、鏡の前で顔を確認する
(……)
(いゃ、何だったんだ?)
初対面に近い人間に平手打ちを喰らい
今更ながら怒りが沸いてきた
(冷やせばこの跡消えるかな…)
ふと鏡越しに女物のバッグが目に留まる
怒り任せにドアから投げ出そうと
バッグを手に取り玄関に向かう
ドアノブを回す寸前、勝手にドアが開いた
目の前には先程の女
怒りの相手が目の前にあらわれたが
突然の事でひるむ
自分以上に相手の方が怒りを顕著に示していた
躊躇している間に
女に逆の頬をぶたれ
思わず尻餅をつく
バッグをもぎ取りながら女は
「最低!!!!」
と今度は怒鳴り、出ていった
女はうっすらと目に涙を溜めていた気がした
しばらく閉まったドアを眺めていたが
やがて落ち着きを取り戻し
深くため息をつく
両の頬に熱を感じながら
軽くやる気が起こらなくなり
ベッドへと向かう
何度も言われなくても
今日は最低な日だ
テレビですでに知っている
気づくとベッド脇の棚に置いてある{写真立て}が倒れている
(これを見たのか…)
とっさに理解をしたが
わざわざその弁解をする為だけに
女を追い掛けようとは思わなかった
それよりも
過去に起きた悲劇が
頭の中でフラッシュバックし始め
気づくと涙をこぼしていた
写真立てを直し、もう一度深くため息をつく
(やっぱり出掛けよう…)
これ以上気分が落ち込む事に嫌気が差し
着替えを済ませると部屋を後にした
写真立てには二人の男女が
仲睦まじく微笑みながら
並んで収まっていた
写真に記されている日付は
およそ1年半前の秋のものだった…