先日、同僚が「アイヌ語」という表記は差別語に当たるのだろうかと悩んでいた。
そんなことで悩まないでよ、という感じだが。
「何々という地名は何々というアイヌ語が起源らしい」という記述に問題がないか戸惑っていた。
差別的な印象を持つ言葉に敏感なのはいいけど、差し障りのありそうな言葉を片っ端から差別語として認定し遠ざけるのは、創造的な行為ではない。差別とは何なのかということを考えていない軽率な行為だ。
水木しげるさんは、愛情を持って南洋の「土人」という言葉を多用する。水木さんの意図するところを読み取り、その表現の使用を認めている角川書店や河出書房新社の編集者の覚悟には敬意を表する。
もし、ぼくが「関西弁」や「関西人」といった言葉に対し、粗野で馴れ馴れしい人を見下すような印象だと感じ、「関西弁」や「関西人」は差別語やで、「畿内弁」「畿内人」へ言い換えなあかんのとちゃうか、と主張しても、堂々と持論を述べて「関西弁」「関西人」の言葉を使用してほしい。
もちろん、「アイヌ語」も「アイヌ人」も差別語ではない。
もちろん、差別的に見下して言う人もいるが、それは、ネガティブな印象を塗り付ける方に問題があるのであって、用語のせいではない。ぼくにとって「アイヌ」は誇りあるいい響きの言葉だ。へんにアイヌという語を避けるほうが、アイヌを侮辱している。
それはともかく、日本文化の基礎を学ぶ授業で、大学新入生が課題図書として読まされることが多いのが、英国人のイザベラ・バードが書いた「日本奥地紀行」だ。
明治11年(1878年)の6月から9月にかけて横浜から札幌まで馬で旅をした様子が、生き生きと描かれている。
日本に馬を操る技術が発達していなかったことや、どこの家にも蚤が多かったこと、アイヌ語しか話さないアイヌ人がたくさんいたことなど、興味深い描写が多い。
むかし読んだときは、日本の農村の貧しさや不潔さ、新しく建てられた西欧的建築物の立派さなどしか印象に残らなかったけど、何十年ぶりかに読み返してみるのもいいものだ。
時としてはキリスト教文化的な視点からの感想も伺えるが、基本的には中立的な姿勢。
世界各地を旅する人の多くがそうであるように、未知のものを単純に否定していない。
見たことをありのままに、文章と素描で残している。
日本人が当たり前だと思って記録に残してこなかったような風景や習慣も描かれているから、明治初期の、おそらく江戸時代から綿々と受け継がれてきた日本の様子を知ることができる貴重な資料となっている。
イザベラ・バードはアイヌ人に対する好奇心も並々ではない。
渡島半島や北海道南部などのアイヌ人集落をいくつか訪れて滞在し、記録に残している。
印象的な部分をいくつか書き出してみよう。
(平凡社ライブラリー版p383)
アイヌ人は日本人ほどそう簡単には酔っぱらわない。なるほど彼らは酒を冷たいままで飲んだが、日本人なら酔ってたわいもなくなるほどの量の三倍も飲んでも、彼らは少しも酔わなかった。
(p390~391)
彼らは宿泊料を少しも受け取らなかったし、与えたものに対して少しもお返しを求めなかった。そこで私は、なんとかして彼らの手工品を買って彼らの援助にしたいと思った。しかしこれも難しいことであった。彼らは熱心に物をくれようとしたが、私が買いたいというと、自分のものを手放したくないと言った。私は彼らが実際に使用しているものを欲しいと思った。例えば、煙草入れや煙管入れ、柄や鞘に彫刻を施した小刀。これら三つのものに対して、私は二ドル半を出した。彼らはそれらを売りたくないと言った。しかし夕方になると彼らはやって来て、それらは一ドル一〇セントの値打ちしかないから、その値段で売りたいと言う。彼らはそれ以上のお金を受け取ろうとはしなかった。儲けるのは「彼らのならわし」ではないと言う。私は弓と三本の毒矢、菱形模様をつけて葦草を赤く染めた二枚の葦草製の蓆(むしろ)、鞘のついた小刀、樹皮製の衣服を買った。私は彼らが神に献酒するときに使う酒の箸を買おうとしたが、生きている人間の酒箸を手放すのは「彼らのならわし」ではないと言った。
(p405~406)
日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱々しい瞼、細長い目、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きぶり、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である。このような日本人を見慣れた後でアイヌ人を見ると、非常に奇異な印象を受ける。私が今までに見たアイヌ人の中で、二人か三人を除いて、すべてが未開人の中で最も獰猛そうに見える。その体格はいかにも残忍なことでもやりかねないほどの力強さに満ちている。ところが彼らと話を交わしてみると、その顔つきは明るい微笑に輝き、女のように優しいほほえみとなる。その顔つきは決して忘れることはできない。
男たちは中くらいの背丈で、胸幅も広く、ずんぐりしていて、非常に頑丈な骨組みである。腕と足は短く太く、筋肉が盛り上がっている。手と足は大きい。多くの男たちの身体、特に四肢は短く荒い毛でおおわれている。私は二人の少年の背中を見たことがあるが、猫のように細くて柔らかな毛でおおわれていた。男たちの頭と顔は非常に印象的である。額は非常に高く、広くて突き出しているので、初めて見ると、知的に発達する異常な能力があるような印象を受ける。耳は小さくて低くついている。鼻は真っ直ぐに通っているが、鼻孔のところが短くて広い。口は横に広いが、よい形をしている。唇はたっぷりとふくよかになる傾向はめったにない。頸は短く、頭蓋は丸く、頬骨は低い。顔の下部は上部とくらべて小さい。喉の「垂れ肉」といわれる特性はまったく見られない。眉毛は豊富で、顔をほとんど真横に、真っ直ぐな線を描いている。目は大きく、かなり深く落ちこんでいて、非常に美しい。目は澄んで豊かな茶色をしている。その表情は特に柔和である。睫毛は長く、絹のようにすべすべして豊富である。皮膚はイタリアのオリーブのように薄黄緑色をしているが、多くの場合に皮が薄く、頬の色の変化が分かるほどである。歯は小さくてきれいに並び、非常に白い。門歯と犬歯は、日本人の場合によくあるように、不釣合いなほど大きいということはない。顎が突き出るような傾向は少しもない。日本人によく見られるような上瞼を隠している皮の襞は決して見られない。容貌も表情も、全体として受ける印象は、アジア的というよりはむしろヨーロッパ的である。
(p409)
アイヌ女性は身長が五フィート半インチを超えることはめったにない。しかし身体の線は美しい。すらりと真っ直ぐで、身体はしなやかでよく発達している。足と手は小さく、足の甲は形よく弓形になっており、四肢は丸みを帯び、胸部はよく発達し、足つきはしっかりとして柔軟である。彼女たちの頭と顔は小さい。しかし髪は男たちと同じく顔の両側にふさふさと垂れ、同じく豊富である。彼女たちの歯は実に見事なもので、にっこり笑うときには惜しみなく歯並びを見せる。
(p445)
黒髪が豊富なこと、彼らの目が奇妙に強烈なことが、毛深い手足と奇妙に雄々しい体格とあいまって、彼らは恐るべき野蛮人の様相を呈している。しかし彼らの微笑は「優美と明知」を湛えていて、眼も口もそれに一役かっている。その低くて音楽的な声は、私が今まで聞いたいかなるものよりもやさしく美しく、ときには彼らが未開人であることをまったく忘れさせる。これらの老人たちの神々しい顔は、その態度振舞いの奇妙なほどの威厳と礼儀正しさとよく調和している。しかしそのすばらしく大きい頭を見ていて、アイヌ人が少しも能力を発揮したことがなく、単に子どもがそのまま大人になったものにすぎないことを考えると、彼らは頭脳の中に知恵ではなくて水を溜めているのではないかと思わせるほどである。私は彼らの顔の表情がヨーロッパ的であると、ますます信ずるようになった。その表情は誠実にあふれ、率直で男らしいが、表情も声の調子も深く哀愁を漂わせている。
(p482)
彼は身体中が深い毛でおおわれ、肩のところは猟犬のゆおうに毛がふさふさと波打ち、身体の保温のためにもまた身体をおおうためにも、衣服はまったく不要と思われた。彼らの黒い髭は、毛深い胸から腰近くまで垂れ下がり、その黒い頭髪はふさふさと肩におおい被さっていた。もし特別に美しい彼の微笑と目許を見なかったら、彼はまったくの野蛮人に見えたであろう。噴火湾沿いのアイヌ人は、山のアイヌ人よりもはるかに毛が深い。しかし、逞しいヨーロッパ人よりも毛深くない男たちを見るのがきわめてふつうであるから、毛深いのがこの民族の目立った特徴だとする考えは、肌のすべすべした日本人などによってだいぶ誇張されているように思われる。
(p494)
一人のきわめて醜いアイヌの女が樹木の皮を裂いていたが、その醜さはとても人間とは思えなかった。日本式の囲炉裏がいくつかあり、その一つの囲炉裏に一人の堂々たる顔をした老人が、湯を沸かしている茶釜を無表情な顔つきでじっと見ながら坐っていた。年とって廃屋の中に坐っている彼は、生存していても歴史がなく、消え去っても少しも記念物を残さない民族の運命を象徴しているかのようであった。もう一つの囲炉裏の傍に坐ってというよりもむしろ蹲(うずくま)っていたのが「猿人(ミッシング・リンク)」であった。私は初めてこれを見たときびっくりしてしまった。これは人間と呼ぶべきか? あの醜い女と「つがい(メイト)」であった。これを「夫」とは私はとても書けない。
人種的な特徴以外にも、アイヌの人たちにとっての売買とか贈与などの行為についての認識も興味深い。興味のある人はぜひゆっくり読んでもらいたいと思う。平凡社ライブラリーで1575円。ちょっと高いけど、それだけの価値は十分にある500ページを超える力作だ。
イザベラ・バードが東北地方や北海道を旅して34年後、明治45年(1912年)にチェコ人作家のヤン・ハヴラサが北海道を旅し、「アイヌの秋 日本の先住民族を訪ねて」という本を残している。この本もなかなか興味深い。
ちょっと目につくところを書き出してみる。
(p26)
アイヌ人はまぎれもなく原始人であり、先史時代の最古の人間の生き残りの一派と見なすことさえできそうである。なぜなら彼らの骨格は、扁平な脛骨と上腕骨を特徴としているが、それはヨーロッパの穴居人の遺骨以外には、今日決して見られないものであり、穴居人の脛骨(テイビア)と上腕骨(フメルス)は、現代にいたるまでアイヌ人種のなかに保たれている身体構造をまざまざと思い起こさせる。
(p70)
ちなみに日本人は人種として見た場合、疑いもなく単一の起源のみ由来するものではない。おそらく植民地蝦夷の多くの地域では、これまで日本本土において、古来の偏見とカースト的習慣のせいでたがいに隔てられてきたような人種的要素のあいだの混血も、可能になっている。さらに言えば、たぶんこうした家族のあるものは数世紀のあいだ、日本人種の守護神が建設し獲得したものに、完全な権利を持って参与する資格のなかった出自を持っている。日本には、民族の外側に置かれた数百万もの人びとがいて、彼らはたとえて言えばわれわれの社会のジプシーに似た立場にあるのだが、事情はさらに悪い。と言うのも、彼らの宿命は放浪生活によって軽減されずに、ほかの住民から差別された特定の場所に縛りつけられているからである。とはいえ日本の社会では、この謎めいた放逐者たちの集落においても、着るものや生活様式はとにかく日本式であり、習慣上彼らの独占と認められている特定の職業にたずさわっている。
(p76)
今日私たちが見かけたアイヌたちは一人残らず、濃い頭髪、見事な口ヒゲ、威厳に満ちたほほヒゲを自然から豊かに恵まれていた。それどころか彼らのほとんどは顔面までも毛に覆われていて、たいていは秀でて高貴でさえある額(ひたい)がなければ、繁茂した毛に覆われている部分のほうが多いと言えるほどである。とはいえおよそ野蛮な印象からはほど遠い。反対にアイヌたちは疑いもなく、底抜けの善人のように見える。聞くところでは彼らの善良さは、同族のあいだや家族のなかでも、外部の人間に対しても等しく変わらないという。
(p94)
私たちにとっていささか意外だったのは、バチェラーが、アイヌのあいだでのキリスト教布教がどちらかと言えば失敗に終わったことを悲しんでおらず、島の日本化という運命に対しても反感を懐いていなかったことである。反対に彼は、日本人たち、とくに日本政府が、アイヌを滅亡から救うためにできるかぎりのことをしていると認めている。それでももう、彼らを救うことはできないと悟っている。
(p124)
平均的なアイヌの男性を、なにかのタイプになぞらえることができるとしたら、ロシアの百姓(ムジーク)をおいてほかにはあるまいが、それは大部分の旅行者の指摘するところでもある。
(p126)
すでに述べたようにアイヌたちは、骨格の構造からして全世界のあらゆる種族とは異なっていて、同類を求めるとしたら、有史以前の太古まで遡らなければならない。今日のアイヌのように腕と脛に扁平な骨を持っていたのは、古代ヨーロッパの穴居人だけである。この人種は、いつ、どこからやって来たのだろうか。
遺伝子が分析できるようになる前は、彫り深く堂々としたアイヌの人たちは形質的に欧米系、コーカソイドなのではないかと認識されていた。
現在では遺伝子の分析により、欧米系ではないと結論付けられているけど、たしかにアジア人離れした容貌の人もいる。
しかし、アフリカの黒人とパプアニューギニアの縮れ毛の黒い人の外見が似ていても遺伝子的にはかなり差があるように、彫り深く発達した四肢を持っていてもコーカソイドとは限らない。
むしろ、寒冷地に対応して一重で瞼が広く、顔や体の凹凸が少なく、体毛が少ない新モンゴロイドのほうが特異型なのであって、二重で彫りが深く、胸も尻も盛り上がっている人種のほうが人類として基本型なのではないだろうか。
二重で彫りの深い古モンゴロイドの人は、時としてコーカソイドと似た形状を示すこともある。
アイヌ人の骨が原始人の特徴を示すという特質は、現在にも引き継がれているのだろうか。
日本列島に広く分布していた縄文人(新石器時代人)も、扁平な脛骨を持っていた。
そこに注目した研究者がアイヌの埋葬地を発掘して、一部のアイヌの人から大きく反発されたが、研究結果はきちんと公表したのだろうか。
<参考>
http://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html
> 日本各地でみられた縄文時代人骨のいわば「旧石器時代人」的特徴は、
> 弥生時代に入り各地で失われてくる。とくに脛骨の扁平性は、沖縄から
> 東北・北海道の一部にいたるまで広範囲に失われる。
また、日本政府はアイヌを同化させ、消滅させようとしたと主張する人は現在でも多いが、アイヌ語辞典編纂でも名高いジョン・バチェラーと会って「日本政府はアイヌを滅亡から救うためにできるかぎりのことをしていると認めている」とバチェラーの認識を記しているのは興味深い。
<参考>ジョン・バチェラー
http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/03.html
ぼくはむかしからアイヌに興味があり、今も本棚には何十冊かのアイヌ関連書がある。
アイヌ的な外見に親しみがあるし、アイヌ的な文様も好きだ。
ぼくにとってはアイヌというのはとてもポジティブな響きをもっていて、文化が消滅の危機に瀕していることを残念に思っている。
砂澤ビッキさんなど、アイヌにルーツを持つ芸術家の作品をいくつか購入して持っているし、アイヌ語小辞典を見ながらアイヌ語の俳句を書くこともある。アイヌに生まれたかったとさえ思っている。
だが、誇大な期待はない。
アイヌ人は陶器も漆器も鉄製品も作らなかったし、文字も数学もなかった。政府も法律もなかった。未開人と言われてもしかたがないような生活環境にあった。
もしかしたら、高度に発展した社会秩序に到達した上で、秩序とか組織化といったものに疑問を持ち、あえてシンプルな生活を選んだのかもしれないけど、その可能性は低い。
アイヌにルーツを持つ人たちによる文化活動は、活発ではなかった。
残念ながら、アイヌ語を維持発展させようとしている人の多くは、日本人(シサム)だ。
<参考>アイヌタイムズ
http://www.geocities.jp/otarunay/taimuzu.html
それでも、最近は若い人が精力的に活動を行っている。
AINU REBELS やOKIさんなどの音楽活動も注目され、アイヌをルーツに持つ芸術家の表現も評価されている。
岡本太郎が縄文土器の美を発見したように、現代の芸術家がアイヌに美を見出す日が来ることを願う。
そんなことで悩まないでよ、という感じだが。
「何々という地名は何々というアイヌ語が起源らしい」という記述に問題がないか戸惑っていた。
差別的な印象を持つ言葉に敏感なのはいいけど、差し障りのありそうな言葉を片っ端から差別語として認定し遠ざけるのは、創造的な行為ではない。差別とは何なのかということを考えていない軽率な行為だ。
水木しげるさんは、愛情を持って南洋の「土人」という言葉を多用する。水木さんの意図するところを読み取り、その表現の使用を認めている角川書店や河出書房新社の編集者の覚悟には敬意を表する。
もし、ぼくが「関西弁」や「関西人」といった言葉に対し、粗野で馴れ馴れしい人を見下すような印象だと感じ、「関西弁」や「関西人」は差別語やで、「畿内弁」「畿内人」へ言い換えなあかんのとちゃうか、と主張しても、堂々と持論を述べて「関西弁」「関西人」の言葉を使用してほしい。
もちろん、「アイヌ語」も「アイヌ人」も差別語ではない。
もちろん、差別的に見下して言う人もいるが、それは、ネガティブな印象を塗り付ける方に問題があるのであって、用語のせいではない。ぼくにとって「アイヌ」は誇りあるいい響きの言葉だ。へんにアイヌという語を避けるほうが、アイヌを侮辱している。
それはともかく、日本文化の基礎を学ぶ授業で、大学新入生が課題図書として読まされることが多いのが、英国人のイザベラ・バードが書いた「日本奥地紀行」だ。
明治11年(1878年)の6月から9月にかけて横浜から札幌まで馬で旅をした様子が、生き生きと描かれている。
日本に馬を操る技術が発達していなかったことや、どこの家にも蚤が多かったこと、アイヌ語しか話さないアイヌ人がたくさんいたことなど、興味深い描写が多い。
むかし読んだときは、日本の農村の貧しさや不潔さ、新しく建てられた西欧的建築物の立派さなどしか印象に残らなかったけど、何十年ぶりかに読み返してみるのもいいものだ。
時としてはキリスト教文化的な視点からの感想も伺えるが、基本的には中立的な姿勢。
世界各地を旅する人の多くがそうであるように、未知のものを単純に否定していない。
見たことをありのままに、文章と素描で残している。
日本人が当たり前だと思って記録に残してこなかったような風景や習慣も描かれているから、明治初期の、おそらく江戸時代から綿々と受け継がれてきた日本の様子を知ることができる貴重な資料となっている。
イザベラ・バードはアイヌ人に対する好奇心も並々ではない。
渡島半島や北海道南部などのアイヌ人集落をいくつか訪れて滞在し、記録に残している。
印象的な部分をいくつか書き出してみよう。
(平凡社ライブラリー版p383)
アイヌ人は日本人ほどそう簡単には酔っぱらわない。なるほど彼らは酒を冷たいままで飲んだが、日本人なら酔ってたわいもなくなるほどの量の三倍も飲んでも、彼らは少しも酔わなかった。
(p390~391)
彼らは宿泊料を少しも受け取らなかったし、与えたものに対して少しもお返しを求めなかった。そこで私は、なんとかして彼らの手工品を買って彼らの援助にしたいと思った。しかしこれも難しいことであった。彼らは熱心に物をくれようとしたが、私が買いたいというと、自分のものを手放したくないと言った。私は彼らが実際に使用しているものを欲しいと思った。例えば、煙草入れや煙管入れ、柄や鞘に彫刻を施した小刀。これら三つのものに対して、私は二ドル半を出した。彼らはそれらを売りたくないと言った。しかし夕方になると彼らはやって来て、それらは一ドル一〇セントの値打ちしかないから、その値段で売りたいと言う。彼らはそれ以上のお金を受け取ろうとはしなかった。儲けるのは「彼らのならわし」ではないと言う。私は弓と三本の毒矢、菱形模様をつけて葦草を赤く染めた二枚の葦草製の蓆(むしろ)、鞘のついた小刀、樹皮製の衣服を買った。私は彼らが神に献酒するときに使う酒の箸を買おうとしたが、生きている人間の酒箸を手放すのは「彼らのならわし」ではないと言った。
(p405~406)
日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱々しい瞼、細長い目、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きぶり、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である。このような日本人を見慣れた後でアイヌ人を見ると、非常に奇異な印象を受ける。私が今までに見たアイヌ人の中で、二人か三人を除いて、すべてが未開人の中で最も獰猛そうに見える。その体格はいかにも残忍なことでもやりかねないほどの力強さに満ちている。ところが彼らと話を交わしてみると、その顔つきは明るい微笑に輝き、女のように優しいほほえみとなる。その顔つきは決して忘れることはできない。
男たちは中くらいの背丈で、胸幅も広く、ずんぐりしていて、非常に頑丈な骨組みである。腕と足は短く太く、筋肉が盛り上がっている。手と足は大きい。多くの男たちの身体、特に四肢は短く荒い毛でおおわれている。私は二人の少年の背中を見たことがあるが、猫のように細くて柔らかな毛でおおわれていた。男たちの頭と顔は非常に印象的である。額は非常に高く、広くて突き出しているので、初めて見ると、知的に発達する異常な能力があるような印象を受ける。耳は小さくて低くついている。鼻は真っ直ぐに通っているが、鼻孔のところが短くて広い。口は横に広いが、よい形をしている。唇はたっぷりとふくよかになる傾向はめったにない。頸は短く、頭蓋は丸く、頬骨は低い。顔の下部は上部とくらべて小さい。喉の「垂れ肉」といわれる特性はまったく見られない。眉毛は豊富で、顔をほとんど真横に、真っ直ぐな線を描いている。目は大きく、かなり深く落ちこんでいて、非常に美しい。目は澄んで豊かな茶色をしている。その表情は特に柔和である。睫毛は長く、絹のようにすべすべして豊富である。皮膚はイタリアのオリーブのように薄黄緑色をしているが、多くの場合に皮が薄く、頬の色の変化が分かるほどである。歯は小さくてきれいに並び、非常に白い。門歯と犬歯は、日本人の場合によくあるように、不釣合いなほど大きいということはない。顎が突き出るような傾向は少しもない。日本人によく見られるような上瞼を隠している皮の襞は決して見られない。容貌も表情も、全体として受ける印象は、アジア的というよりはむしろヨーロッパ的である。
(p409)
アイヌ女性は身長が五フィート半インチを超えることはめったにない。しかし身体の線は美しい。すらりと真っ直ぐで、身体はしなやかでよく発達している。足と手は小さく、足の甲は形よく弓形になっており、四肢は丸みを帯び、胸部はよく発達し、足つきはしっかりとして柔軟である。彼女たちの頭と顔は小さい。しかし髪は男たちと同じく顔の両側にふさふさと垂れ、同じく豊富である。彼女たちの歯は実に見事なもので、にっこり笑うときには惜しみなく歯並びを見せる。
(p445)
黒髪が豊富なこと、彼らの目が奇妙に強烈なことが、毛深い手足と奇妙に雄々しい体格とあいまって、彼らは恐るべき野蛮人の様相を呈している。しかし彼らの微笑は「優美と明知」を湛えていて、眼も口もそれに一役かっている。その低くて音楽的な声は、私が今まで聞いたいかなるものよりもやさしく美しく、ときには彼らが未開人であることをまったく忘れさせる。これらの老人たちの神々しい顔は、その態度振舞いの奇妙なほどの威厳と礼儀正しさとよく調和している。しかしそのすばらしく大きい頭を見ていて、アイヌ人が少しも能力を発揮したことがなく、単に子どもがそのまま大人になったものにすぎないことを考えると、彼らは頭脳の中に知恵ではなくて水を溜めているのではないかと思わせるほどである。私は彼らの顔の表情がヨーロッパ的であると、ますます信ずるようになった。その表情は誠実にあふれ、率直で男らしいが、表情も声の調子も深く哀愁を漂わせている。
(p482)
彼は身体中が深い毛でおおわれ、肩のところは猟犬のゆおうに毛がふさふさと波打ち、身体の保温のためにもまた身体をおおうためにも、衣服はまったく不要と思われた。彼らの黒い髭は、毛深い胸から腰近くまで垂れ下がり、その黒い頭髪はふさふさと肩におおい被さっていた。もし特別に美しい彼の微笑と目許を見なかったら、彼はまったくの野蛮人に見えたであろう。噴火湾沿いのアイヌ人は、山のアイヌ人よりもはるかに毛が深い。しかし、逞しいヨーロッパ人よりも毛深くない男たちを見るのがきわめてふつうであるから、毛深いのがこの民族の目立った特徴だとする考えは、肌のすべすべした日本人などによってだいぶ誇張されているように思われる。
(p494)
一人のきわめて醜いアイヌの女が樹木の皮を裂いていたが、その醜さはとても人間とは思えなかった。日本式の囲炉裏がいくつかあり、その一つの囲炉裏に一人の堂々たる顔をした老人が、湯を沸かしている茶釜を無表情な顔つきでじっと見ながら坐っていた。年とって廃屋の中に坐っている彼は、生存していても歴史がなく、消え去っても少しも記念物を残さない民族の運命を象徴しているかのようであった。もう一つの囲炉裏の傍に坐ってというよりもむしろ蹲(うずくま)っていたのが「猿人(ミッシング・リンク)」であった。私は初めてこれを見たときびっくりしてしまった。これは人間と呼ぶべきか? あの醜い女と「つがい(メイト)」であった。これを「夫」とは私はとても書けない。
人種的な特徴以外にも、アイヌの人たちにとっての売買とか贈与などの行為についての認識も興味深い。興味のある人はぜひゆっくり読んでもらいたいと思う。平凡社ライブラリーで1575円。ちょっと高いけど、それだけの価値は十分にある500ページを超える力作だ。
イザベラ・バードが東北地方や北海道を旅して34年後、明治45年(1912年)にチェコ人作家のヤン・ハヴラサが北海道を旅し、「アイヌの秋 日本の先住民族を訪ねて」という本を残している。この本もなかなか興味深い。
ちょっと目につくところを書き出してみる。
(p26)
アイヌ人はまぎれもなく原始人であり、先史時代の最古の人間の生き残りの一派と見なすことさえできそうである。なぜなら彼らの骨格は、扁平な脛骨と上腕骨を特徴としているが、それはヨーロッパの穴居人の遺骨以外には、今日決して見られないものであり、穴居人の脛骨(テイビア)と上腕骨(フメルス)は、現代にいたるまでアイヌ人種のなかに保たれている身体構造をまざまざと思い起こさせる。
(p70)
ちなみに日本人は人種として見た場合、疑いもなく単一の起源のみ由来するものではない。おそらく植民地蝦夷の多くの地域では、これまで日本本土において、古来の偏見とカースト的習慣のせいでたがいに隔てられてきたような人種的要素のあいだの混血も、可能になっている。さらに言えば、たぶんこうした家族のあるものは数世紀のあいだ、日本人種の守護神が建設し獲得したものに、完全な権利を持って参与する資格のなかった出自を持っている。日本には、民族の外側に置かれた数百万もの人びとがいて、彼らはたとえて言えばわれわれの社会のジプシーに似た立場にあるのだが、事情はさらに悪い。と言うのも、彼らの宿命は放浪生活によって軽減されずに、ほかの住民から差別された特定の場所に縛りつけられているからである。とはいえ日本の社会では、この謎めいた放逐者たちの集落においても、着るものや生活様式はとにかく日本式であり、習慣上彼らの独占と認められている特定の職業にたずさわっている。
(p76)
今日私たちが見かけたアイヌたちは一人残らず、濃い頭髪、見事な口ヒゲ、威厳に満ちたほほヒゲを自然から豊かに恵まれていた。それどころか彼らのほとんどは顔面までも毛に覆われていて、たいていは秀でて高貴でさえある額(ひたい)がなければ、繁茂した毛に覆われている部分のほうが多いと言えるほどである。とはいえおよそ野蛮な印象からはほど遠い。反対にアイヌたちは疑いもなく、底抜けの善人のように見える。聞くところでは彼らの善良さは、同族のあいだや家族のなかでも、外部の人間に対しても等しく変わらないという。
(p94)
私たちにとっていささか意外だったのは、バチェラーが、アイヌのあいだでのキリスト教布教がどちらかと言えば失敗に終わったことを悲しんでおらず、島の日本化という運命に対しても反感を懐いていなかったことである。反対に彼は、日本人たち、とくに日本政府が、アイヌを滅亡から救うためにできるかぎりのことをしていると認めている。それでももう、彼らを救うことはできないと悟っている。
(p124)
平均的なアイヌの男性を、なにかのタイプになぞらえることができるとしたら、ロシアの百姓(ムジーク)をおいてほかにはあるまいが、それは大部分の旅行者の指摘するところでもある。
(p126)
すでに述べたようにアイヌたちは、骨格の構造からして全世界のあらゆる種族とは異なっていて、同類を求めるとしたら、有史以前の太古まで遡らなければならない。今日のアイヌのように腕と脛に扁平な骨を持っていたのは、古代ヨーロッパの穴居人だけである。この人種は、いつ、どこからやって来たのだろうか。
遺伝子が分析できるようになる前は、彫り深く堂々としたアイヌの人たちは形質的に欧米系、コーカソイドなのではないかと認識されていた。
現在では遺伝子の分析により、欧米系ではないと結論付けられているけど、たしかにアジア人離れした容貌の人もいる。
しかし、アフリカの黒人とパプアニューギニアの縮れ毛の黒い人の外見が似ていても遺伝子的にはかなり差があるように、彫り深く発達した四肢を持っていてもコーカソイドとは限らない。
むしろ、寒冷地に対応して一重で瞼が広く、顔や体の凹凸が少なく、体毛が少ない新モンゴロイドのほうが特異型なのであって、二重で彫りが深く、胸も尻も盛り上がっている人種のほうが人類として基本型なのではないだろうか。
二重で彫りの深い古モンゴロイドの人は、時としてコーカソイドと似た形状を示すこともある。
アイヌ人の骨が原始人の特徴を示すという特質は、現在にも引き継がれているのだろうか。
日本列島に広く分布していた縄文人(新石器時代人)も、扁平な脛骨を持っていた。
そこに注目した研究者がアイヌの埋葬地を発掘して、一部のアイヌの人から大きく反発されたが、研究結果はきちんと公表したのだろうか。
<参考>
http://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html
> 日本各地でみられた縄文時代人骨のいわば「旧石器時代人」的特徴は、
> 弥生時代に入り各地で失われてくる。とくに脛骨の扁平性は、沖縄から
> 東北・北海道の一部にいたるまで広範囲に失われる。
また、日本政府はアイヌを同化させ、消滅させようとしたと主張する人は現在でも多いが、アイヌ語辞典編纂でも名高いジョン・バチェラーと会って「日本政府はアイヌを滅亡から救うためにできるかぎりのことをしていると認めている」とバチェラーの認識を記しているのは興味深い。
<参考>ジョン・バチェラー
http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/03.html
ぼくはむかしからアイヌに興味があり、今も本棚には何十冊かのアイヌ関連書がある。
アイヌ的な外見に親しみがあるし、アイヌ的な文様も好きだ。
ぼくにとってはアイヌというのはとてもポジティブな響きをもっていて、文化が消滅の危機に瀕していることを残念に思っている。
砂澤ビッキさんなど、アイヌにルーツを持つ芸術家の作品をいくつか購入して持っているし、アイヌ語小辞典を見ながらアイヌ語の俳句を書くこともある。アイヌに生まれたかったとさえ思っている。
だが、誇大な期待はない。
アイヌ人は陶器も漆器も鉄製品も作らなかったし、文字も数学もなかった。政府も法律もなかった。未開人と言われてもしかたがないような生活環境にあった。
もしかしたら、高度に発展した社会秩序に到達した上で、秩序とか組織化といったものに疑問を持ち、あえてシンプルな生活を選んだのかもしれないけど、その可能性は低い。
アイヌにルーツを持つ人たちによる文化活動は、活発ではなかった。
残念ながら、アイヌ語を維持発展させようとしている人の多くは、日本人(シサム)だ。
<参考>アイヌタイムズ
http://www.geocities.jp/otarunay/taimuzu.html
それでも、最近は若い人が精力的に活動を行っている。
AINU REBELS やOKIさんなどの音楽活動も注目され、アイヌをルーツに持つ芸術家の表現も評価されている。
岡本太郎が縄文土器の美を発見したように、現代の芸術家がアイヌに美を見出す日が来ることを願う。