十七条憲法の成立は不明確だ。
日本書紀では、604年(推古天皇12年)に聖徳太子が作ったと紹介されているけど、日本書紀が編纂された720年頃に作られたものではないかという説がある。
そもそも聖徳太子=厩戸皇子の実在も疑問視されている。

だけど、「和を以って貴しと為す」という一文は、日本の風潮を表現する一文としてよく知られている。
一部の人は、「思ったことを主張しあい認め合った末の調和が大事だ」というように理解し、別の人は「物事を荒立てないために自己主張しないで我慢することが必要だ」というように理解する。

さまざまな解釈があるけど、十七条憲法における「和」とは何だろう。
調和の和、平和の和のことだろうか。
中国語でも「和」は和やかで調和のとれた様子を表わすらしい。

十七条憲法の他の項目を見てみよう。
第2条では仏教を敬えと言っている。
第3条では天皇を敬えと言っている。
なぜ、第1条では調和という状態が貴いと言っているのだろう。

一般的には、第2条、第3条のように、第1条もモノというか組織、制度といった具体的な存在について述べているのではないか。

そうすると、思いつくのは、ここで言う「和」とは「倭」、「大和」のことではないかということだ。

「以和爲貴」には2通りの意味があると考えてみてはどうだろうか。
「調和を大事にする」という意味と、「日本人を大事にする」という意味。

日本書紀や古事記が成立する前、5世紀も6世紀も7世紀も、朝鮮半島からの移民は多かった。
特に7世紀には百済や高句麗からの亡命者が多かった。
(660年に百済が滅亡し、高句麗も668年に滅亡した)

だから、西日本や畿内には多数の百済系や高句麗系、新羅系などの人たちが住んでいた。
先進的な技術を持った彼らは日本の政治経済に大きな力を持っていたから、以前から住んでいた人たちとのいさかいが生じることもあっただろう。

徒党を組んで、日本の風習に染まろうとしない渡来人もいたかもしれない。
そこで、「いろんな人たちが住んでるけど、日本人が大事だっていうことを忘れずにね」と釘を刺したのが、「和を以って貴しと為す」だとは考えられないだろうか。

ここは百済でも高句麗でも新羅でもなく、日本だ。日本国家として、まとまって行こう。
そういう意思を最初に明示したとも読める。

704年に日本書紀が成立するまでは、大和政権のことを指して「和」「大和」と言っていた。
もし、平清盛の時代に「平を貴べ」というお触れが出たら、それは「平等」とか「平衡」といった意味も重ねてあるのかもしれないけど、基本的に「平家を貴べ」という意味に一般の人は受け取るだろう。
ニューヨークのチャイナタウンで「美を愛そう」というキャンパーンがあれば、それはbeautifulの意味もあるかもしれないけど、美国(亜美利加)のことだと受け取る人が多いだろう。

「和を以って貴しと為す」の「和」も、平和とか調和の意味の前に、「大和政権」「日本」として受け取られていたかもしれない。

上記のような説を唱える人はどこかにいないものだろうか。

<参考>
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■和を以って貴しと為す
「一に曰く、和を以て貴しと為し、さからうこと無きを宗とせよ。人皆党有り。亦、達れる者少なし。是を以て、或いは君父に順ず。また隣理に違う。然れども、上和らぎ、下睦びて、事を論うにかなうときは、則ち事理自ずから通ず。何事か成らざらん」
※「以和爲貴」は、論語の「禮之用和爲貴」(礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す)を引用していると言われている。「和」は、和やかで調和がとれている様子。
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以上のようなことを適当に書いたけど、ぼくはあまり歴史に興味がない。
過去の事実を知ったからといって、そのこと自体にどんな価値があるか疑問があるし。

「日本を以って貴しと為す」説は誰でも思いつく説だろうと思ったけど、ネット上に見当たらなかったのでメモしただけ。
歴史も漢文も知らない人間が軽薄なことを書いてすみません。
高校時代、日本史も世界史も全く習わなかったので、いまだに鎌倉時代と室町時代がどっちが古いか問われても即答できないようなレベルです。