差別はいけない、と言う人は多い。
だけどそう言う人の多くは差別とは何かということを深く考えていない。
差別の定義は何かということを最初に明らかにし、差別に対して違和感があることに関して、自分の価値観や世界観について静かに分析を行わないと、いつまでも表面的な流れに流されていくこととなる。
基本的に、差別は「価値がない」と認識することと深い関係がある。
自分の所属する何か(社会組織や家庭組織や友人関係や思考パターンなど)を維持するために不適切なものだから、よく理解もしないで否定し、価値がないと断定し、見下す。
世の中にはいろんな形があり、いろんな秩序があり、いろんな組織がある。
その中で何かを区別したり価値がないと判断したり何かを否定することは、避けられない。
どうしても、整理整頓を美徳とする人は乱雑な様子を好まないし、旅をすることが好きな人は一所にとどまることを良しとしない。
色白が好きな人は日に焼けないようにつとめる。
ぽっちゃりした人が好きな人は、モデルみたいな痩せた人に興味をもたない。
社会的地位を重視する人は元犯罪者と付き合おうとしないかもしれない。
だから、ほんとうはあらゆるところに「差別的構造」は存在する。
だけど、その差別的構造は通常「差別問題」としては表出してこない。
社会組織などを維持する上で、不都合が生じない限りは、問題として現れないのだ。
多くの差別問題は、価値観と価値観がぶつかったときに発生する。
明治大正に盛んだった反差別運動もそうだし、戦後に盛んだったウーマンリブ運動(女性解放運動)もそうだ。
ある社会においてある差別的構造があったとしても、問題なく社会が成り立っている場合は、問題として現れてこない。
世の中には差別的な構造などいくらでもある。
それが、価値観の変化や衝突によって社会組織の維持に支障が生じた場合に、問題として現れてくる。
例えば、奴隷制。被差別民差別。
そういった制度や価値観は、むかしは問題があると認識されていなかった。
時代とともに社会的な価値観が変化し、問題とみなされるようになった。
遅れていた考え方が進歩したんだ、と言う人もいるだろう。
人類平等、民主主義、平和などというのは普遍的な重要なことだ、と言う人もいるだろう。
だけどほんとうにそうだろうか。
少なくとも、私たちの価値観はまだまだ最終段階まで来ていない。
これからも価値観は変化して行き、20世紀から21世紀にかけての世界の考え方は、後世の人たちから古い乗り物(飛行船や馬車)でも見るような奇異の目で見られるようになるかもしれない。
例えるのは難しいが、奴隷制の維持や被差別民に対する白眼視は、現代の人々がペットや家畜を飼い、排泄物やゴミをキタナイ物扱いすることと大して変わらないとも言える。
100年前には、支配者層重視という価値観から人類平等という価値観への移行を推進し、排泄物を肥料に使うことなく下水に流すことを促進した人たちがいる。
100年後には、人類平等というより動物平等という価値観が支配的になり、排泄物を疎外することが非常識なことになっているかもしれない。
100年後の人たちはペットや家畜を対等な存在として尊重し、敬愛の念を持って接し、命について深く考えているかもしれない。
自ら食肉となることを志願する人間が出現するかもしれない。
また、100年後の人たちは汚物やゴミを貴重な資源として活用し、排泄物を祭る礼拝堂が設置されているかもしれない。
それはまったく的外れなことではない。
すでにいくらかそういった方向性の萌芽は見られる。
いろんな価値観が生まれて、いろんなぶつかる。いろんな動きが発生してやがて一つの潮流が生まれる。
カオス理論とか複雑系の科学とはむずかしいことは知らないけど、そんなイメージがある。
世の中には混沌としたいろんな動きがあって、やがて秩序が発生して、組織が生まれて、混沌に戻る。それが繰り返される。
最高の価値観に基づいた最高に安定した社会が存在しえると考えるのは幻想だ。
やがて、その価値観と異なる価値観を持つものが発生するのは自然の摂理、物理法則に沿っているから。
ひとつの価値観によってまとまりを得た組織を堅守しようとすると、やがて限界に達する。
中国共産党が現在苦労しているように。
それで、何が言いたいかと言うと、この現在も、いろんな差別的構造が社会問題として現れてきているということ。
例えば、年齢差別もそう。
先輩が尊重されるのは当然。体が成長していても未成年がお酒を飲んではいけないというのは当然。60歳をすぎると退職するのは当然。
などなど、年齢によって区別されていることは多い。
それは蔑視は含まれていないから差別ではないと言う人もいるだろう。
だけど、60歳以上の人は働く価値がないと認識していないだろうか。
20歳以下の人間は未熟な者だと認識していないだろうか。
年下の者のことを目下だと認識していないだろうか。
そういったことが、生活スタイルの多様化した世の中で、徐々に問題視されるようになってくる。
奴隷の主人も、亭主関白な男も、たぶん「自分はまったく奴隷や女性を無価値なものとして認識していない」などと言うのではないだろうか。
いろんな社会運動に参加してみるのもいいかと思う。
動物平等を唱えて過激な活動をすれば、100年後の人からは自由民権運動の志士のように歴史上の人物として扱われるかもしれない。
自分の現在の価値観に基づく理想を追い求め、限界まで活動してみるのもやりがいはあるだろう。
すっかり社会運動というものは省みられなくなったけど、自分なりの正義感というか価値観で、反差別運動に関わるのも楽しいことだろう。
「なぜ差別問題は発生するか」、「散発的な意見はどう組織化されるか」「組織化された運動はどんな問題を乗り越えていくか」「運動はどう収束していくか」といったことをカオス理論や複雑性の科学などの視点を得て研究するのは、科学的に価値のあることだと思う。
そういう姿勢ではなく、複雑な背景をおもいきり単純化し、理屈ではなく信仰のような運動にいそしむ人もいるだろう。
だけど、組織化された運動をまるで確固とした一つの社会のように考えているのであれば、会社人間のように、一部にしかすぎないものを全体と勘違いして疑うこともなくなっているのかもしれない。
差別に反対することはきっとやりがいがあるかと思う。
ただ、差別とはなにか、ということをきちんと考えないで行動すれば、それこそ堂々巡りの中にいるような状態から抜け出せない。
循環する何かの一部分を、全体と勘違いして過ごすことになるのかもしれない。
そんな印象を持った。
下記の研究者の博士論文の論評を拝見して。
・日本における人民戦線史観の批判的研究
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/bitstream/2241/6695/1/B1853.pdf
この先生はとても頭のいい人だけど、学生運動最後の世代で、思想的にもその時代の影響が大きい。
ご自宅の本棚には岸田秀の「ものぐさ精神分析」も置いてあったけど、きっと「新しい傾向のよくわからない感覚」と受け取ったのではないだろうか。
この先生が昔「よくわからないけど絶対的に悪いということはあるんじゃないかなと思う」とつぶやいていたことを思い出す。
私は僭越ながら、ああ、この先生は突き詰めてないぞ、甘いのでは、と思ってしまった。
現在、私が師と仰ぐ岸田秀先生は、きっとそういうことは言わないのではないだろうかと思う。
岸田先生なら、不当な何かを何々すべし、とか不公平な何々を何々をしなくては、などとは言わないだろう。
ぐるぐる繰り返す流れの中で、それを客観的に眺めてみるのもいい。
怒る必要も危機感を抱く必要もない。
物事の仕組みを把握すれば見えてくるものがある。
10年以上前、以上のような内容のけっこう斬新なことを書いたら、日本語日本文化学類の学生運動化上がりの先生方には総スカンでした。活動家、社会運動家の根本を否定したとでも思われてしまったのでしょうか。
何かに対して闘っている人は、何かを否定しているということを自覚してもいいと思うのですが。
世捨て人系は歴史学の世界で生き辛いのでした。。。
<参考>
労働調査会2007年4月13日のニュース
http://www.chosakai.co.jp/news/n07-04-13-3.html
■英、独、仏では昨年までに年齢差別禁止の国内法令を施行
~厚労省・海外情勢報告~
厚生労働省はこのほど、「2005~2006年海外情勢報告」をとりまとめた。報告では、諸外国における高齢者雇用対策を特集し、EU、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど主要先進諸国を中心に調査している。
報告によれば、2004年における各国の公式引退年齢(公的老齢年金を満額受給可能な最低年齢)は、概ね65歳となっているが、フランスの男女及びイギリスの女性は60歳となっている。
一方、実引退年齢(40歳以上の者が継続就労の意思なく退職した年齢の平均値)は、各国とも総じて公式引退年齢を下回っており、アメリカは男性64.2歳、女性63.1歳、イギリスは男性63.0歳、女性61.6歳、ドイツは男性61.3歳、女性60.6歳、フランスは男性59.3歳、女性59.5歳となっている。
高齢者(55~64歳)の就業率は、いずれの国(統計値がないイギリスを除く)も1960年代後半から1980年代半ばまで下降し、その後上昇に転じている。2005年の就業率は、アメリカ60.8%、イギリス56.8%、ドイツ45.5%、フランス40.7%となっており、各国とも年齢計(15~64歳)の就業率より低く、その差は10~20%程度となっている。
また、2005年の高齢者の失業率は、ドイツ12.7%、フランス6.8%、アメリカ3.3%、イギリス2.7%で、年齢計の失業率との比較では、アメリカ、イギリス、フランスでは年齢計失業率の方が高齢者失業率より高いが、ドイツでは逆になっている。
雇用対策面では、EUが、2010年までに高齢者の就業率を50%とし、平均引退年齢を64.9歳に引き上げる目標を打ち出した。年齢に関する各国の法制度をみると、アメリカでは1967年に雇用における年齢差別禁止法を制定、イギリス、ドイツ、フランスでは、年齢、障害等に係る雇用差別の禁止を加盟国に求めたEU指令に従い、2006年末までに国内法令を施行している。
定年制は、アメリカでは原則禁止しているが、イギリス、ドイツ、フランスでは65歳以上の定年制は認めている(これら3ヶ国では一定要件の下に65歳未満の定年も可)。
また、事業主に対する積極的な就業促進政策をみると、イギリスでは年齢差別是正のためのキャンペーンを実施、ドイツ及びフランスには高齢失業者雇入時の賃金助成などがある。
だけどそう言う人の多くは差別とは何かということを深く考えていない。
差別の定義は何かということを最初に明らかにし、差別に対して違和感があることに関して、自分の価値観や世界観について静かに分析を行わないと、いつまでも表面的な流れに流されていくこととなる。
基本的に、差別は「価値がない」と認識することと深い関係がある。
自分の所属する何か(社会組織や家庭組織や友人関係や思考パターンなど)を維持するために不適切なものだから、よく理解もしないで否定し、価値がないと断定し、見下す。
世の中にはいろんな形があり、いろんな秩序があり、いろんな組織がある。
その中で何かを区別したり価値がないと判断したり何かを否定することは、避けられない。
どうしても、整理整頓を美徳とする人は乱雑な様子を好まないし、旅をすることが好きな人は一所にとどまることを良しとしない。
色白が好きな人は日に焼けないようにつとめる。
ぽっちゃりした人が好きな人は、モデルみたいな痩せた人に興味をもたない。
社会的地位を重視する人は元犯罪者と付き合おうとしないかもしれない。
だから、ほんとうはあらゆるところに「差別的構造」は存在する。
だけど、その差別的構造は通常「差別問題」としては表出してこない。
社会組織などを維持する上で、不都合が生じない限りは、問題として現れないのだ。
多くの差別問題は、価値観と価値観がぶつかったときに発生する。
明治大正に盛んだった反差別運動もそうだし、戦後に盛んだったウーマンリブ運動(女性解放運動)もそうだ。
ある社会においてある差別的構造があったとしても、問題なく社会が成り立っている場合は、問題として現れてこない。
世の中には差別的な構造などいくらでもある。
それが、価値観の変化や衝突によって社会組織の維持に支障が生じた場合に、問題として現れてくる。
例えば、奴隷制。被差別民差別。
そういった制度や価値観は、むかしは問題があると認識されていなかった。
時代とともに社会的な価値観が変化し、問題とみなされるようになった。
遅れていた考え方が進歩したんだ、と言う人もいるだろう。
人類平等、民主主義、平和などというのは普遍的な重要なことだ、と言う人もいるだろう。
だけどほんとうにそうだろうか。
少なくとも、私たちの価値観はまだまだ最終段階まで来ていない。
これからも価値観は変化して行き、20世紀から21世紀にかけての世界の考え方は、後世の人たちから古い乗り物(飛行船や馬車)でも見るような奇異の目で見られるようになるかもしれない。
例えるのは難しいが、奴隷制の維持や被差別民に対する白眼視は、現代の人々がペットや家畜を飼い、排泄物やゴミをキタナイ物扱いすることと大して変わらないとも言える。
100年前には、支配者層重視という価値観から人類平等という価値観への移行を推進し、排泄物を肥料に使うことなく下水に流すことを促進した人たちがいる。
100年後には、人類平等というより動物平等という価値観が支配的になり、排泄物を疎外することが非常識なことになっているかもしれない。
100年後の人たちはペットや家畜を対等な存在として尊重し、敬愛の念を持って接し、命について深く考えているかもしれない。
自ら食肉となることを志願する人間が出現するかもしれない。
また、100年後の人たちは汚物やゴミを貴重な資源として活用し、排泄物を祭る礼拝堂が設置されているかもしれない。
それはまったく的外れなことではない。
すでにいくらかそういった方向性の萌芽は見られる。
いろんな価値観が生まれて、いろんなぶつかる。いろんな動きが発生してやがて一つの潮流が生まれる。
カオス理論とか複雑系の科学とはむずかしいことは知らないけど、そんなイメージがある。
世の中には混沌としたいろんな動きがあって、やがて秩序が発生して、組織が生まれて、混沌に戻る。それが繰り返される。
最高の価値観に基づいた最高に安定した社会が存在しえると考えるのは幻想だ。
やがて、その価値観と異なる価値観を持つものが発生するのは自然の摂理、物理法則に沿っているから。
ひとつの価値観によってまとまりを得た組織を堅守しようとすると、やがて限界に達する。
中国共産党が現在苦労しているように。
それで、何が言いたいかと言うと、この現在も、いろんな差別的構造が社会問題として現れてきているということ。
例えば、年齢差別もそう。
先輩が尊重されるのは当然。体が成長していても未成年がお酒を飲んではいけないというのは当然。60歳をすぎると退職するのは当然。
などなど、年齢によって区別されていることは多い。
それは蔑視は含まれていないから差別ではないと言う人もいるだろう。
だけど、60歳以上の人は働く価値がないと認識していないだろうか。
20歳以下の人間は未熟な者だと認識していないだろうか。
年下の者のことを目下だと認識していないだろうか。
そういったことが、生活スタイルの多様化した世の中で、徐々に問題視されるようになってくる。
奴隷の主人も、亭主関白な男も、たぶん「自分はまったく奴隷や女性を無価値なものとして認識していない」などと言うのではないだろうか。
いろんな社会運動に参加してみるのもいいかと思う。
動物平等を唱えて過激な活動をすれば、100年後の人からは自由民権運動の志士のように歴史上の人物として扱われるかもしれない。
自分の現在の価値観に基づく理想を追い求め、限界まで活動してみるのもやりがいはあるだろう。
すっかり社会運動というものは省みられなくなったけど、自分なりの正義感というか価値観で、反差別運動に関わるのも楽しいことだろう。
「なぜ差別問題は発生するか」、「散発的な意見はどう組織化されるか」「組織化された運動はどんな問題を乗り越えていくか」「運動はどう収束していくか」といったことをカオス理論や複雑性の科学などの視点を得て研究するのは、科学的に価値のあることだと思う。
そういう姿勢ではなく、複雑な背景をおもいきり単純化し、理屈ではなく信仰のような運動にいそしむ人もいるだろう。
だけど、組織化された運動をまるで確固とした一つの社会のように考えているのであれば、会社人間のように、一部にしかすぎないものを全体と勘違いして疑うこともなくなっているのかもしれない。
差別に反対することはきっとやりがいがあるかと思う。
ただ、差別とはなにか、ということをきちんと考えないで行動すれば、それこそ堂々巡りの中にいるような状態から抜け出せない。
循環する何かの一部分を、全体と勘違いして過ごすことになるのかもしれない。
そんな印象を持った。
下記の研究者の博士論文の論評を拝見して。
・日本における人民戦線史観の批判的研究
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/bitstream/2241/6695/1/B1853.pdf
この先生はとても頭のいい人だけど、学生運動最後の世代で、思想的にもその時代の影響が大きい。
ご自宅の本棚には岸田秀の「ものぐさ精神分析」も置いてあったけど、きっと「新しい傾向のよくわからない感覚」と受け取ったのではないだろうか。
この先生が昔「よくわからないけど絶対的に悪いということはあるんじゃないかなと思う」とつぶやいていたことを思い出す。
私は僭越ながら、ああ、この先生は突き詰めてないぞ、甘いのでは、と思ってしまった。
現在、私が師と仰ぐ岸田秀先生は、きっとそういうことは言わないのではないだろうかと思う。
岸田先生なら、不当な何かを何々すべし、とか不公平な何々を何々をしなくては、などとは言わないだろう。
ぐるぐる繰り返す流れの中で、それを客観的に眺めてみるのもいい。
怒る必要も危機感を抱く必要もない。
物事の仕組みを把握すれば見えてくるものがある。
10年以上前、以上のような内容のけっこう斬新なことを書いたら、日本語日本文化学類の学生運動化上がりの先生方には総スカンでした。活動家、社会運動家の根本を否定したとでも思われてしまったのでしょうか。
何かに対して闘っている人は、何かを否定しているということを自覚してもいいと思うのですが。
世捨て人系は歴史学の世界で生き辛いのでした。。。
<参考>
労働調査会2007年4月13日のニュース
http://www.chosakai.co.jp/news/n07-04-13-3.html
■英、独、仏では昨年までに年齢差別禁止の国内法令を施行
~厚労省・海外情勢報告~
厚生労働省はこのほど、「2005~2006年海外情勢報告」をとりまとめた。報告では、諸外国における高齢者雇用対策を特集し、EU、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど主要先進諸国を中心に調査している。
報告によれば、2004年における各国の公式引退年齢(公的老齢年金を満額受給可能な最低年齢)は、概ね65歳となっているが、フランスの男女及びイギリスの女性は60歳となっている。
一方、実引退年齢(40歳以上の者が継続就労の意思なく退職した年齢の平均値)は、各国とも総じて公式引退年齢を下回っており、アメリカは男性64.2歳、女性63.1歳、イギリスは男性63.0歳、女性61.6歳、ドイツは男性61.3歳、女性60.6歳、フランスは男性59.3歳、女性59.5歳となっている。
高齢者(55~64歳)の就業率は、いずれの国(統計値がないイギリスを除く)も1960年代後半から1980年代半ばまで下降し、その後上昇に転じている。2005年の就業率は、アメリカ60.8%、イギリス56.8%、ドイツ45.5%、フランス40.7%となっており、各国とも年齢計(15~64歳)の就業率より低く、その差は10~20%程度となっている。
また、2005年の高齢者の失業率は、ドイツ12.7%、フランス6.8%、アメリカ3.3%、イギリス2.7%で、年齢計の失業率との比較では、アメリカ、イギリス、フランスでは年齢計失業率の方が高齢者失業率より高いが、ドイツでは逆になっている。
雇用対策面では、EUが、2010年までに高齢者の就業率を50%とし、平均引退年齢を64.9歳に引き上げる目標を打ち出した。年齢に関する各国の法制度をみると、アメリカでは1967年に雇用における年齢差別禁止法を制定、イギリス、ドイツ、フランスでは、年齢、障害等に係る雇用差別の禁止を加盟国に求めたEU指令に従い、2006年末までに国内法令を施行している。
定年制は、アメリカでは原則禁止しているが、イギリス、ドイツ、フランスでは65歳以上の定年制は認めている(これら3ヶ国では一定要件の下に65歳未満の定年も可)。
また、事業主に対する積極的な就業促進政策をみると、イギリスでは年齢差別是正のためのキャンペーンを実施、ドイツ及びフランスには高齢失業者雇入時の賃金助成などがある。