どんなに大切に思っても、どんなに素晴らしいバスでも、ドライバーで全てが変わる。

いいバスだと思っても、走り1つでとんでもない話になることもある。

観光バスだろうが、高速バスだろうが、競走馬と騎手の関係に同じ。

馬の乗り手でもあった私には、バスを責められることは、苛立ちと悲しさのせめぎ合いになるほどの案件である。

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「いくらあんたが褒めるバスだとはいっても、あんな走りをされて貴婦人もクソもあるか!2度とあんなバスに乗るか!」

乗り役がどんな走りをしていたか、予想は簡単に出来た。
バスは確かに素晴らしい。
だが、乗り役の腕をバスがカバーしているコンビは、リスキーな走りにしかならないことなど、十分承知している。

だが、当該バスは非常に優秀だった。
お客さまを思い、自分を必要とする人を案じる優しいバスだ。
乗り役のことでクレームを食らっても、怒ることはない。

本当は、そんな怒りの連絡をもらった時点で、営業に話して聞かせるべきなのだが、クレームが入っていることは伝えても、怒ることは出来なかった。

営業を叱ったところで、お客さまの怒りは消えない。
仮に営業が詫びたところで、再び乗りたいと思うだろうか。


私は、バスラビーナとして、そのお客さまが再び乗りたいと思えるドライバーを推挙し、改めて車両のことをご理解いただけるよう、努めるより他になかった。


悲しいかな、それが私のエージェントとしての仕事である。


昔、カワカミプリンセス降着事件の時、
『馬は悪くない!馬だけは堪忍してやってくれ!』と、当時鞍上だった本田優 現調教師が審議会に懇願した、というエピソードを思い出した。
斜行進路妨害による降着。乗ったのは自分だが、馬に責任はない!と訴えた騎手の気持ちは、今の私には痛いほど分かるものだ。
名牝とされたカワカミプリンセスに、汚名を着せることになることを騎手が受け入れられるはずはない。
バスドライバーとて同じである。


営業所で指名上位のバスが、顧客から『2度と乗らない!』というクレームをもらうことが、どういうことなのか。関係者であるならば何となくお分かりいただけることと思う。

バスがあってのドライバー。
ドライバーあってのバスである。

いかに指名上位のドライバーであっても、走りを以てのおもてなしが出来なければ、私は決して指名候補に選んだりしない。

いくら『名馬』といっても、『騎手』がクレームの原因となっては、お客さまとバスを繋ぐどころか、その関係が切れてしまいかねない。

今回は、さすがに怒鳴る気力もない。

ただ、ラビーナのバスとして出走させる可能性は、極めて低くなったというだけに過ぎない。

愛情が変わる訳ではないけれど、私が推す以上は愛情だけで選抜することは出来ない。

それは、バスラビーナ故の絶対値だから。