NHKで瞑想についての番組がやっていたので
瞑想について思い出して見ました。




仏教とはこころの科学
(ダライ・ラマ)
こころの中と外を観察し
なんでもありなのに無の
空の境地への道しるべ





番組では
『体感をともなう気づき、瞑想』

『体感』
を連発していましたウインク





そう、頭だけや少し垣間見た程度では
生きることに応用できないのです真顔
(人生の分岐点にはなります!)
身体に落としこんでこそ
生きる世界を創れるのです。








わたしの経験(わたしの創った世界)から
10年ほど前に瞑想に
ハマっていた時がございました真顔



その前に
すべてはひとつだ~という経験をしまして
その感覚が日々の生活で薄れていき
もう一度あの感覚を!と求める時期でした笑い泣き

わかるのに体感できない!
もどかしい時期。







その時に
ヴィパッサナー瞑想というものを知り
やってみたことがございます❤




1日10時間
誰とも話さす目を合わせず。
ひたすら自分と向きあい...
夜にはブッタの講話集をきいて...




その講話の中に
『すべては移り変わる』
『こういう人間をつくるために』
みたいな言葉がありました。





ここで
『えぇぇ!変わらないものここにあるよー
そこから生まれているよーポーン

『こうなるって?
いろんな人がいてもいいじゃないポーン





ちゃっかり反応です
反応しないで見守る、流す
観察するをしているのに(笑)







疑問に思ったまま終わり。
2回目もしてみました(笑)
やっぱり、疑問。
そうかー、こうやって宗派が分かれて行くんだなぁとしみじみ思った2回目。








そして、3回目(笑)
今度は上級者コースの2日だけのものに参加!
その中で



『すべてが変わりゆくなかで、
             変わらないものを
                見つけるために
                         この瞑想がある

みたいな言葉がきこえたような真顔



えぇぇゲロー先に言ってよ~
知ってるよー
となったわけです(笑)

この瞬間に瞑想は卒業を迎えました笑い泣き





だけど、生きづらいのです。
こころの中にいろいろあるなーとわかる。
しかも、普通の生活でこそ気づくのです。





わたしは、海外でも
知らない土地の山の中に
ひとりで1週間いても
さみしくないタイプニヤニヤ



なのに、みんなの中にいて
家族の中にいて
付き合って💓😍💓いるひとがいる
普通に幸せ!の方がさみしいのですポーン
いろいろあるので、もはや大変!
気づくことが多すぎて(笑)



すごく極端ですねー✨



人は人で磨かれるのです✨
山の上で瞑想して、
穏やかな愛の空間にいれたとしても、
山を降りて
他人による刺激で浮き彫りになるものがある。

全然だめじゃんゲッソリなんて思っていました。
人と関わり合う中での観察=瞑想で
ひとつひとつやっていくのが大切です。






身体まで響く魂の揺れが
体験として落とし込む
体感となるのですウインク




肉体をもった次元上昇なので、
体感まで響かせないとです!
身体が震えるほどの体感を!
周波数を身体まで響かせるデレデレ






わたしは人を使って気づいていくことを
強く選んできたみたいです。
これを体験するために、
両極を経験したのだなぁとわかりました。
こちらは自分設定です!







番組の中で、
仏教とは、さとりを目指すものであり
多様性であり
空の境地
差はなく、自分も他人もなく
ひとつである
を知るためにある。
と言っていました。
完全受容です。






そう、今まではそこまで真顔
そこから生きる方法は説かれていないのです。




これからは、この先を説くものが
どんどん出てくるでしょうデレデレ


完全受容からの創造!
どんどん自分で書き換えていく世界❤
楽しみですね✨






大切な時間を使って
お読み頂きありがとうございます❤
よい1日をお過ごしください❤




すべてはひとつ
わたしがつくる
透明な空間から