さよ朝のサントラを買って日々主題歌の「ウィアートル」を聞き続ける毎日です。
これは個人的な趣味なんですけど、主題歌とかの詞を考察するのが好きなんですよね(過去にとらドラ!の「オレンジ」についてのブログ書いたみたいな)。今回は「ウィアートル」の詞について書いていこうと思います。
とは言ったものの、この詞はかなり真っ直ぐ書かれて居ると思うので、解説するほどのことはないと思います。が、一つだけ。
この詞に出てくる”太陽”なんですが、おそらくマキアが初めてエリアルを抱いた時に言う「変な匂い。お日様みたい」の台詞から、愛を受け継ぐもの、次世代、陳腐な言葉になりますが”希望”と言い換えたらしっくりきます。
”ちっぽけな星よ まわり続けて…
あふれそうに輝いて
流れて行く 綺麗なままで”
ちっぽけな星は、広大な宇宙に浮かぶ地球と捉えてもいいし、地球で生きている人間とも捉えてもいいと思います。
そんな小さな世界に流れる時間を懸命に生きてる、そんな儚げな雰囲気を感じます。
”歩き出す 愛を連れて 奏でるように
信じてる どんな形でも
太陽は昇るから きっと”
まるでエリアルに出会った朝のような詞。このことから、まだこの愛は、未熟で幼いものである。だけどそんな形だろうと、その愛は次に繋がっていくと信じてる。
”ちっぽけな星に 落ちた涙は
あふれそうな優しさを
見せてくれる もう一度笑って
その胸の中に何があるの?”
落とした涙は、優しすぎるが故に溢れ出た。メザーテを出て、マキアを守ると約束したシーンを彷彿とさせます。そんな優しいマキアに笑っていて欲しかった。そしてドレイルでは、その愛の形を問う。
”歩き出す 愛になって 光の中へ
大丈夫 どんな未来でも
太陽は昇るから きっと”
そしてその愛の形が自分なのだと。それに気がついた時、この先に広がる未来は光を帯びる。そして眩しくて見えなくても、自分の思いは繋がっていく。
ウィアートルというタイトルは、後期ラテン語のViātor(ウィアートル※wiki調べ)が由来だと思います。意味は航海者、旅行者だそうです。つまり、この長い歴史の一瞬を旅する私たちのことを指しているんじゃないでしょうか。
「さよ朝」は前に進むことを肯定した作品です。そして進んでる中で愛と出会い、その愛がかけがえのない自分になっていく。
よくある演出で、朝日は始まりや出発、夕日は終焉や旅の終わりなどを意味しますが、エリアルと出会ったシーン、最後にマキアとレイリアがレナトに乗っているシーン、エリアルが初めて自分の子を抱くシーン、全て朝なんですよね。おそらくエリアルを看取るシーンも、タイトルを鑑みれば朝なのでしょう。
この長く続く時間は、全て地続きで繋がっているのです。メザーテ軍とバイエラ軍が戦っている時に印象に残ったのが、戦争で戦って死んだ大量の兵士たち。我々が立ってるこの大地には、それまでに生きていた人間が大勢いたのです。そして、その死体の血で足を滑らせるエリアル。先祖たちの意思は、少なからず今生きている人間に影響を及ぼしているのだと。全て繋がり、無駄だった時間なんて無かったのだろう。
それと同じく、生きている私たちにだって無意味なものなんて無いんだ。思いは全て”朝”に繋がり、また始まっていく。太陽が昇るように。
だからこそ、前に進まなければいけない。より良い自分に出会うために。より良い明日になるために。
この「ウィアートル」はこの映画に寄り添うような詞が印象的だ。特に”太陽は昇るから”という一節は、マキアが、エリアルが、そして私たちが見つけた”希望”をすくい上げてると、私は思う。
