なるみの徒然日記(不定期)

なるみの徒然日記(不定期)

日々の雑感です。
テーマは色々。ふとした時に考えたことをまとめる場にしたいです。

Amebaでブログを始めよう!

さて、記念すべき初ブログです。

今日、このブログを開設しようとした理由は、お風呂に入っている間に考えていたことを

言葉として残したいと思ったからです。

それゆえ文体は統一性がないと思います。日々の日記みたく思っていただけると嬉しいです。


そして、今回のテーマは【自己顕示欲について】

(初っ端からちょっと衝撃的なネタですが、ご勘弁を)





自己顕示欲って、多くの人間が持っているものだと思う。

「自分をよりよく見せたい」「注目を集めたい」「みんなに一目置かれたい」

理由は何であれ、人間が他者と関わって生きていく以上、「自分が他者にどう思われているか」は

凄く気になるし、「できればよりいいイメージを持ってもらいたい」とも思っていると思う。


しかしそれゆえ、「良く見せたい」と思ってやった行動・発した言葉が逆の印象を与えることは、往々にしてある。

facebookを利用していると、そのように感じることが多々ある。

facebookは、学生の間では(特に私たち大学生の間では)、自分の生活の記録として使われている。

写真のアルバム機能を利用したウェブ版日記、自分が読んだ記事などをリンクつきで紹介する、など。

そこに投稿した文章・写真・記事などで、自分というものを外に発信する。自分のイメージを相手に植え付ける。


そこで気になるのが、彼らの発信した内容である。

最近私はfacebookを見ていて気になった出来事が2つあった。


一つ目は、自分が「意識高い」学生(この表現は嫌いである)だということを皆に発信したい学生の話。

このような人は、要するに「ちょっと頭よさそうな」内容や言葉遣いをする。しかし、残念ながら文体から

その人の学力・為人はにじみ出てしまう。そこで起きるのが「その人の文章・内容に対する違和感」だ。

例えば、「テストは勉強しなくてもどうにかなるので、誰か飲みましょう。」という内容を連投する。

しかしまた彼女は「単位落としそうとか言ってる人バカじゃないの?親がどんな気持ちで学費払ってると思って

いるの?」という内容を投稿する。

彼女は、「自分はテスト勉強しなくても大丈夫。なぜなら自分は頭がいいから。よく勉強しているから。」ということを顕示したいとしか思えない。

私にとっては、そのような人はとても惨めに見える。「あなたのテストが余裕かどうかなんて私は聞いていない、要するにあなたの要件は『誰か飲みましょう』ということだけで、その前の部分は何のために書いたの?」と言いたくなる。それは、彼の「自分を頭いい学生だと見せたい自己顕示欲」だと思う。


さて、二つ目。これも私が感じた「違和感」だ。

彼はあるサイトの記事にコメントをつけて、自分のページで紹介していた(シェア機能)。

彼がシェアしていた記事は、「忙しい人と仕事が出来る人違い」という内容で、それによると「忙しいという言葉を使う人は仕事が出来ない人」という結果であった。(ちなみに私はこの記事の内容には疑問を感じる。)

注目すべきは、彼がこの記事をシェアするときにつけたコメントである。

(以下抜粋)


「忙しい」ってなんなんでしょうか?
僕は忙しくないので分からないですけど笑

さて、このコメントをどう読み取るか。それは個人の自由であるとして、

私には「僕は忙しい人ではなく、仕事が出来る人だけど、みんなはどう?」に聞こえる。

正直、このコメントを読んでちょっとイラッとしたのは私だけではないはずだ。

ここでの彼は「自分は仕事が出来る人であるという自己顕示欲」を持っていると感じる。


自己顕示欲は厄介だ。それは人間の心理に無意識に働いているのかもしれない。

しかし、自己顕示欲によって発された言葉によって、人間の印象は悪い方向に傾くこともある。

「賢く見せたい」人間なんて多々存在する。わたしが今まで関わって来た人にも多くいる。

その中で、一人だけとても記憶に残った人がいる。


彼女も「賢く見せたい」人間の一人。話し合いには積極的に挙手して発言、しかし内容は薄っぺらく空回り、

もしくは他人の意見の復唱。他の参加者は苦笑い。正直、彼女の発言に感銘を受けたことはなかったし、

ことばの力を感じたこともなかった。全く言葉に気持ちが入っていない、彼女自身を言葉から感じられない。

とても薄っぺらく、誰にでも言える言葉。

しかし、一度だけ、たった一度だけ、わたしは彼女を尊敬した。彼女の言葉に命が吹き込まれた瞬間に遭遇した。


彼女が失恋した時だ。

彼女は当時付き合っていた彼に振られた。涙ながらに語る。

どこが好きだった。辛い。彼以上の人はいない。他の人では埋められない。もう一度やり直したい。


良くある話だ。しかし、彼女の言葉は私を動揺させた。今まで聞いたことのなかった彼女の気持ち、彼女にしか言えない言葉が、私に突き刺さった。

驚いた。もちろん、彼女の失恋そのものに対する慰めをしなくてはならなかった。

しかし、私は彼女のもつ言葉の威力に驚いた。彼女には、こんな力があったのかと、衝撃だった。


いつもの彼女と話しているときには、見ることはできない、彼女の真の姿であった。

もったいないと思った。彼女の自己顕示欲が、本来持っている彼女のことばの力を弱めてしまっているのだ。

彼女が背伸びをしているからだ。


結局、人間は本来の姿で、等身大でいることが一番いいのではないかと感じる。

"laissez-faire"-なすに任せよ- である。(経済学ではないが)

何かを加工したり、そのような細工はいらない。自然体こそが、もっともよい人間像であると感じる。

体裁ばかりを気にした行動は、人間本来の価値を下げる。




さて、初のブログはここら辺で終わりたいと思います。

書きたいことはまとまっていたんですが、まさかここまで長くなるとは…

考えてること書けて良かった、と思う一方で、結局私は世の中に批判をしたいだけなんじゃないか、と感じた。。

もし何か思ったことがありましたら(反論でも。笑)コメントお待ちしております♪


さあー、寝ようー!おやすみなさいー!