★思いやりと関心★ | サンディエゴ発ライフ・イズ・グッド!

★思いやりと関心★

こんにちわ、三村 浩です。
インターネットで何でも情報が取れる時代、iPadも購入しましたが、いまだ、ハードの紙面を見るのも悪くないなあと思っています。 今日、2010.9.13号の日系ビジネスを読んで少し気になったので、そのことについてお話しします。

上司と部下のココロ学というコーナーのコラム(P69)から、学校教育に長年関わっていた女性とある町の工場長との会話での話しです。その女性曰く、勉強の仕方を指導したり、目標設定をしなくても、生徒たちは自分とほかの子供の長所にも気づくようになり、できる子ができない子を教えるようになるそうです。それを聞いた工場長はそれができない企業は参っていると思った彼は、「それって言うは易しで行うは難しではないですか?」と告げた。

そうかなっと笑った彼女は、紙ナプキンで「思いやり」と書いた。

例えば黒板に「思いやり」と書く。 「自分の思いを人にやるのが思いやり。他人という相手に思いを差し上げれば、自分は空っぽになってしまう。さて、どうしましょう」と問いかける。 生徒たちが頭を抱えていると、頃合いを見て、「不得手」と黒板に書く。自分が苦手としていることと説明すると生徒たちはうんうんと頷く。

できない者同士が互いを思いやるのは簡単。それは相手の気持ちがわかるから。でも計算が得意な子は苦手としている子を温かい目で見られるかな? 思いを差し上げられるかな?自分は得意なのに、それができない相手を思いやるのが難しいのは、覚えるのに多くの努力と時間を費やす子の姿を想像できないから。

「みんな一人ひとり違うけど、それが自然。モノサシは人それぞれにみんな違うの」と言ったら、2人の生徒が手を挙げた。「モノサシを共通にするのが思いやり」 「デコボコの穴を埋めるのが思いやり」。なぜ平均化するの?「みんなのこと、全然知らないから」

男性はふいに、”何が言いたいかわかりますか?”と問われて「愛ですか?」と答えた。 「優等生の答えね。」
正解は、『カンシン』。相手にもっと関心を持とうということ。関心が消えたら、ばらばらになるしかないの。
・・・・

20数年前、大学の教育心理学の授業で教授が言っていた、今でも印象に残っている言葉を思い出しました。
それは、無関心、無責任、無反応。なかでも一番たちの悪いのが無反応。

僕は、不動産投資やビジネスを通じて、何か人の役に立ちたいと思っています。そのためには「カンシン」という言葉、とても大切です。でも、こちらが「カンシン」を寄せても果たして人の役に立っているのだろうか!その人の困っていることを理解できているのだろうか?カンシンを持ってくれないのは、反応できないのは、何故だろう、と思うことも少なくありません。

理数系ができたほうだった僕はまさにこの文章にあるように、クライアントが何に困り、何を求めているのか、想像できないからではないだろうか。

それと、平均化。みんなそれぞれ個性があって良いのに、同じようにすることが思いやりと感じていた生徒。地域社会、教育がなんとかサポートしていけると良いなあ。。。

真面目に書いてたつもりだったのですが、読み返してみると、なんだか、小学校の時の読書感想文を思い出しました。 読書感想文が大の苦手だった僕は、あらすじを要約し、あとがきの良いところをほぼ丸写し。

ということで、興味のある方は全文を読んでみてください。

なんだか稚拙な記事になってしまったことをお許しください。
最後までお読みいただきありがとうございました。 合掌!
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