この三連休は仏からの贈り物だった。身体を休めて、自分の身の回りのことを物理的なことと精神的なものその他諸々色々整理整頓、フルパワーの価値より も究極的にリラックスしている状態を積極的に意識した。色々作業していて、思考が極論系になったらそれが休憩の合図のような気がする。
負荷の最適化を痛感する。俺は普通に暮らしているとあれもこれもやらなきゃになるので、負荷をおさえようとする方向にもっていく必用がある。ホントに俺はいままで頑張りすぎだったのだ。極限まで疲弊した精神と肉体では【負荷をかけること】=【価値を生み出すこと】と勘違いしてしまう。それは多くの不幸の源泉になっている。疲弊しきっていては効率も悪いし、いいアイディアも浮かばないし、何より鬱々として毎日を過ごすことになる。これからは最適な負荷で。今までよりも負荷は少なくするけれど、今よりももっと価値を生み出していくことが可能だ。これまで通り忙しなく動き回っているけれどそれは【暇な時間】=【余裕】=【価値創造のために必要な時間】を生み出すためのものであって、単純にキャパオーバーしていただけの過去の自分とは違う。【価値の生産性】に主軸をおいて、そこから逆算的に生活を設計していかないと。
小室さん可哀想。生き残ったバンドはミスチルもサザンもラルクもみんな【休んでいる】。空白の時間は無駄な時間では決してないのだ。