今日、「ある人」から一通の葉書が届いた。

「他人の弱点とは攻める場所では無く、フォローすべき場所」と書いてある。

最後に会ったのは8年程前、電話をしたのは5年前だろうか。しかし今でもきっと頭が上がらないであろう人からの葉書だった。


大学時代、少林寺拳法部に所属していたのだが、「ある人」とはその時の先輩である。学生の内に格闘技をかじっておきたいといった軽い動機で入部したのだが、その人のおかげで2年で主将となり、3年の時に全国大会本選に出場する程の腕前になっていた。


この時は肉体を鍛えぬき、精神的にも自分を苛め抜いた時期だった。

「その人」には武道の技術そのもの以外にも、リーダーシップ論を叩き込まれた。


エピソードは数え切れないのだが、私は子供の頃から、運動神経に相当の自信があり、その後に目標としていた成果も出せたのだから、努力も怠らなかった筈だが、その人には1年半の間、一度も触れる事すら出来なかった記憶がある。順突(ボクシングで言うジャブ)すら一度も当たらなかったのだ。(その後も、その人だけは引き分けた事すら無い。)

幼少の頃からフルコン空手と伝統派空手で鍛えたその能力は、それまでに、またその後も経験した事の無い強さだった。


ろくに勉強もしないで10代を終えようとしていた私が、勉強らしい勉強をしたのもこの人との出会いによる。弁護士志望の彼の読書量たるや異常としか言えなかった。稽古の後、同院(少林寺では道場の事をそう呼ぶ)で教え、彼の家に行くと図書館のように本が並んでおり、朝まで最近読んだ本の話を聞くことになるのだ。


そんな徹夜明けにも、倒れるまで稽古をする。私が倒れるまで稽古が終わらないのだ。(当然、その頃には部員全員が倒れている。)後になってみれば、それが自分で決めた限界を超えるという事だったと感謝している。


その後にこの時の数年に経験した以上の肉体的、精神的な苦痛を味わった事は無い。


私には頭の上がらない人が2人いて、1人はこの人。もう1人は前職時代のオーナー社長だ。この2人が同姓、しかも名前が一字違いというのは奇妙な縁を感じざるを得ない。


当たり前だが、武道に入ってから一度も暴力をふるった事は無い。しかし、喧嘩の仲裁は今でも大好きだ。