ちょっとしたことが物語る事 | ダメ出しの専門家・激辛講師北村美由起

ダメ出しの専門家・激辛講師北村美由起

  鉄は鉄で研がれ人は人で成長する

高飛車子です



「お飲み物は何になさいますか?」


と聞かれて、アイスコーヒーが飲みたい場合

なんと答えますか?


あたりまえのように

「アイスコーヒーで・・・」

と答える人がいます



「アイスコーヒーをお願いします」

「アイスコーヒーをください」


と、ここまで答えてほしいのに


「〇〇で・・・」 と済ませてしまう人を見ると

社会人としてどうなのだろうか?


と思ってしまう


私は子供にはその点はうるさい

ランチを食べにいけば


「ランチお願いします」と最後まで言うことを求める

出来なければしつこく指摘する



ある男性と車を見に行きました

その時にショールームで飲み物をいただいたのですが


「アイスコーヒーで・・・」と応えた彼に私は言った


「アイスコーヒーお願いしますって最後まで話したほうがいいよ」

うるさそうな顔をされたが


それを

「そうだね」と思わないのであれば


その先はもう私がどうこういうことではなく

その人の問題


それでもその人を尊敬できるか

それでもその人と付き合えるかどうか

なのだと思うのです



年齢があがると

求めるものは価値観の一致


それがずれると

非常になんとも微妙な違和感を感じるのです


微妙なのに、それが許せなくなるのです




先日ある経営者の方からお聞きした話ですが

秘書の男性と新幹線のグリーン車で東京に向かう時


疲れていた彼は

車内販売の女性にとても雑な対応をしたそうです


その秘書は自分の御嬢さんの恋人です


それを見ていて経営者の女性は

いくら疲れていたとはいえ、

車内販売の女性にあのような態度をとることは間違っている


一瞬であっても

さも自分の立場が上であるかのような態度


しかし、それが彼の素の部分

娘はこの人と結婚して幸せになるのだろうか・・・


そう思ったと話していました

同じ娘を持つ親として、同感できました




先週、和光市へ向かう電車の中で

お腹の大きな妊婦さんの女性が(妊婦はすべて女性ですが)

お腹から見て恐らく9カ月か臨月


汗を拭きながらドアのそばで具合が悪そうにしているのを見ました

「大丈夫ですか?」と声をかけ


優先席にすわっている若い男性に声をかけました

「具合が悪そうなので席をかわっていただけますか?」


男性はチラ見をして無視したのです


席を代わってくださったのはご年配の女性でした

隣で席を代わる場面を見ても


音楽を聞きながらなんとも反応しない男性


日本はこんなに豊かなのに

どうして利他的な部分が欠けるのだろう


優先席です席を譲りましょう

アナウンスはただのアナウンス


耳に入っていても

「そうだね」と思う人がいないのはなぜなのだろう

疲れているのはみな同じなのに・・・




電車の中は豊かさを感じられないことが多いです

みな疲れた顔をしてムッとした表情で自分の場を作る


比べていいことはないのかもしれないけれど

席を譲ることに関してはアメリカなら考えられない事です



アメリカはバスに乗っても、電車に乗っても、飛行機でも

妊婦さんと小さな子供がいる親子は


「ここに座れ!」とみなさん席を立ちます

「俺のここの場所に座れ」と

とても積極的に席をゆずります


バスに乗った瞬間、大勢の

あまりの積極さにどこに座ったらいいの?と

とまどう事もあります



家の息子が小さな時

大きな水たまりの前で息子が立ち止まった時に


後ろから来た男性が

息子を抱きかかえて水たまりを超えてくれたことがあります


まったく知らない人です





娘と娘の友人と三人であるつけ麺の人気店でのこと

私たちは二番乗り、


一番乗りは隣のテーブルの恐らく親子

母親と高校生ぐらいの息子さん


目に入った彼の食べ方を見て思った


この人と娘は付き合わせることはできない

この人に娘は嫁がせられない


勝手に一人、そんなことを思いました



その男の子はいわゆる犬食い

左利きの彼は右手を出さずに


ラーメンのドンブリに口をつけて

「犬食い」で食べるのです

手が不自由なわけではないのです


それを注意もしない母親


帰りの車の中で娘に言いました

「食べ方の汚い人と付き合ったらダメだよ」


私は無防備の姿が

その姿がすべてを物語ると思うのです


しつけられず、注意されず、

気を使う事を学ぶ事なく、許されて育って行く環境



別に私は上品に育ったわけでもなく

上品を求めているわけでもない


でも、それでも(ちょっとそれは)と思う事はある

それは自分の中で譲れない最低ラインという部分だと思います




平日の夜7時~8時の新幹線の自由席は

帰宅のサラリーマンで混雑する


そのわずかな1時間の間に

様々な事を思うのです


大きな音をたてて新聞をめくる人

混雑しているのに鞄を椅子に乗せて席を占領する人


携帯電話でひっきりなしに話をする人

居酒屋状態になっているグループ



私たちは様々な人のなかで暮らしていく

そして様々な人に少なからず影響を与えている


どうせ影響を与えるなら

良い影響を与えることを考えたい