高飛車子です
みなさんは
1945年 目撃者の眼 報道写真家 ジョー・オダネル
「焼き場に立つ少年」という画像をご存知でしょうか
昨日、TVで見ました
息子が「教科書に載ってたな」
この画像の解説を聞き
事実に涙がとまらなかった
りっぱな日本男児に私は胸がいっぱいになり嗚咽がこぼれた
「泣くんだったら見るなよ」
「だって見なくちゃダメでしょ」
「あーママが泣き始めたからチャンネルかえよう」
私のせいにしているが
息子もたぶん胸がいっぱいになったのだと思う
あの画像を見て、話を聞いて
普通でいられる人などいないはずだ
インターネットにも紹介されていた
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1999年現在76歳になるジョー・オダネル氏は、アメリカ軍の
報道写真家として第2次世界大戦後の日本を撮った。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺め
ていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は
当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、
首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、
焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を
去っていきました。(インタビュー・上田勢子)
[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
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<コメント>
この一枚の写真は、廃墟の中死んだ弟を背中に背負い、
荼毘に付す順番を直立不動で立っている少年の写真です。
少年は自身の短い人生の中で最大の悲しみをこらえ、
唇を噛み締めて泣くのを耐えていた…
彼のその唇からは血が出ていたという…
この少年の眼ときつく結ばれた唇から、悲しみの深さが伝わってきます。
ひょっとしたら、両親も戦火で亡くなり残されたたった一人の肉親だったのかも知れません…
悲しみを必死にこらえる少年の表情にあなたは何を感じますか…
私が感じたことは、
「たった六十数年前の日本には、こんな少年にも武士道の教えが生きており、
すでに立派な日本男児である」
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こんな小さな子供にどれだけ辛い思いをさせたのか
この少年が息子だったら・・・
大人でも辛いことを
こんな小さな子供に経験させてしまう
戦争
繰り返してはいけないと改めて思った