高飛車子です
人から注意指摘を受ける
人から叱られる
得意な人はいないかもしれない
でも厳しい指摘をうけると
耐えられる人とそうでない人にはわかれていく
自分はどうか?
相手が自分に気を使って厳しく言えないようなら
私はこの歳まで何をしてきたのかと
自分自身を悔むだろう
自分に厳しく注意指摘をしてくれる人がいるということは
この人には言ったほうが良い
この人には言いたい
この人は言って折れるような人ではない
これも評価だと思います
時々思い出す吉田松陰
なぜ罪人に学問を教えたのか
人は人生さまざまなことを知って学んで死ぬのと
知らないで死ぬのとは全く死が違う
私はもう50代に手が届く年齢になった
若い人から思えば
50にもなるのだから
さぞたくさん物事を知っているのだろうと
思われても仕方がない年齢だ
でも実際は違う
知らないことばかり
知らないことが多いと思えるのは
視野、行動が狭くない証拠だと思う
同じ世界にばかりに居て
同じ人とばかり付き合い
同じ考えの中で暮らしたら
知らないことを知らないで終わる
知らないことに出会うことは
また新たな挑戦に出会う事でもある
知らないことに出会う事も
これは一つの行動の結果だと思います
実際
わかる範囲や出来る範囲ばかりで生活して
自分は成長しているという実感があるのだろうか
私はそれこそが不安であり落ち着かない原因だ
いくつになってもがむしゃらな前向きさ
それがあるから追い風に立ち向かえると思います
高飛車子の学びは
まだまだこれからなのである