高飛車子です
ある女性のブログを読んで
自分もそうだった・・・
その時のことを思い出しました
逃げ場
私には仕事場しか逃げ場がなかった
仕事場が逃げ場だった
その逃げ場に逃げ込むことができたから
乗り越えられたことがある
私は逃げ場があったから乗り越えられた
これが事実だ
私だって
そんなに強い女じゃない
先日ある友人が言った
「みんなと居る時間が嫌なことを忘れさせてくれる」
よくわかる
一人でいるとどうしようもなく思い出す
でも
やかましい私たちといれば
嫌なことが一瞬でも忘れる自分がいる
だったら
遠慮しないで一緒にいたらいいと思う
それでいま自分が救われると思うならそうすればいい
そんなことちっとも悪い事じゃない
気持ちはよくわかる
私は学校という職場があったから
息子の病気と闘う事もできたし
息子の浪人生活の不安を軽減することもできた
友人の死という辛さも
学校に行くことによって忘れさせてくれた
息子が大学に合格して
家からいなくなってしまった時は
学校の賑やかな毎日が私の慰めとなった
GWに帰ってきて
また大学に戻る時には
見送れば涙が出るとわかっていた
寂しくて見送りたくなくて
わざと部活の差し入れにと
学校へ出かけて見送らなかった
学校に向かう車の中で
寂しくて寂しくて
息子を思い見送れない自分をはずかしくも思い
涙で前が見えないほど
号泣しながら学校に向かった
途中泣きすぎて車をとめて号泣した(^▽^;)
私にとっても仕事場は逃げ場だった
息子が病気で苦しんでいるときはまさにそうだった
病は人の性格まで変える
日に日に荒れてくる息子を見るのが嫌だった
病気は人の性格を変える
その息子とのやりとりに私は疲れ果てた
家が近付くと手が震えてしびれてくる
動悸がして帰宅拒否症症状がでるようになった
一人でなんでもやってきたが
あの時ほど、人間の限界を感じたことはなかった
逃げ場がなかったら
私はとっくに息子と今この時間ここには生存していないと思う
逃げ場
私には今も逃げ場がある
だから耐えられることがある
逃げ場
私はとっても大事な場所だと思っています
そしてそれを理解していくれる人がいることは
もっと大きな逃げ場だと思います