高飛車子です
昨日
大勢の赤ちゃんたちを見ていて思いました
私も、子供が生まれた時は
元気いてくれたら
それだけでいいと思っていたのに・・・
笑ってくれる顔に
この笑顔はあれば何もいらないと思った
元気に大きくなってほしいと願っていたのが
幼児教育だベビースイミングだと欲が出て
運動もできてほしい
勉強もできてほしいと願う
勉強がちょっとできるようになると
次は人間性も身につけて
誰からも好かれる人になってほしいと願う
勉強も出来て人柄も身につけて
次は学年で上位に入ってほしいと願う
上位に入ると
次は東大だと願う
大学に行くと
無事卒業して
しっかりとした仕事についてほしいと願う
おまけに彼女はかわいい人がいいと願い
いつかこの先
幸せな結婚をしてほしいと願う
結婚は
二人がしあわせならそれでいい・・・
しかし
わかるんです
それがいざとなると
綺麗な優しい奥さんを貰ってほしいと思い
孫は元気であればいいと願うのに
生まれたら
孫はさらさらヘアのかわいい女の子が良いと思う
孫も運動もお勉強もピアノもバレエもできて
お友達もたくさんいてetc
結婚観
この人と暮らせたら何もいらない
多少のことは我慢できると思ったのが
結婚してみると
あれもこれも気になり腹が立つ
良く考えて結婚すればよかったなどと思いはじめ
挙句の果てには
すっかり顔も見たくないと思うようになる
子供は二人の愛結晶などと言っておきながら
そのうち
子供は全部私に似ていて
あなたに似たところなど何一つない
血もつながっているわけがないと
そう思ってしまう
ある女性作家が言っていた
「離婚する前は家の中で
私を一番殺したいと思っている人と
暮らしているわけですから怖いですよね」
人って
どこまでわがままで贅沢で
きりがなく求めていくのだろう
どうして今のしあわせを
いとも簡単にあたりまえだと思い
きっと
もっとしあわせになれるはずだと思うのだろうか
昨日は
ハイハイを必死でする赤ちゃんを見ていて
うれしそうに滑り台であそぶ赤ちゃんたちを見ていて
邪心のない
無邪気な顔を見ていて
どうして大人になると
これがなくなるんだろうと思った
私も
きっとこんな光景を
しあわせだと思ったんだよなぁ
すっかりすぎてしまった時
人はどこまでいけば満足するのだろうか・・・
もう一度
しあわせのハードルを低くして
自分のしあわせを考えてみようと思った
そう思えたのも
赤ちゃんたちのあの笑顔なんです