この時期を物語るのだろう
代議士の先生たちの参加の多いこと多いこと
「1分程度でスピーチをお願いします」
ステージに昇った先生たち
元気よく話すが声が割れて聞きづらい
とても気になったのは
話がよくわからないよりも
誰も1分を守らないことだ
誰のための話なのか
1分程度がなぜ守れない?
これだけ人数がいるのに
全員3分、4分話したら
最終的には何分押すか計算ができないのだろうか
面白い話ならまだしも
つまらない話の延長など犯罪にも等しい
と、誰かが言っていた
自分だけ話したいことを話
みなさん元気よく帰って行った
何を話したか私はまったく覚えていない
今日
受講生である小学校の先生と盛り上がった話
「なぜ校長先生は卒業式で紙を読んで話をするのか」
子供にはきちんと人の顔を見て話しなさいと言いながら
良い大人が、なぜちゃんと全校生徒の顔見て話ができないのか
小学校の先生は大抵みな顔をあげて話をする
しかし
中学校、高等学校と進むと
みな、用意した紙を読んで終わりになる
某国立大学の附属中学の卒業式の時
教育学部の附属なので
学校長は教育学部の教授が兼任している
いわゆる、教育のエキスパートだ
しかし
ずっと下を向いて用意した巻紙を読んで終わる
たしかに話はためになるが
顔の表情もわからなければパッションがまるでない
抑揚など何も感じない
みな、聞いているのかいないのか
続いて来賓は教育学部の学部長
その人も教育のエキスパートであるはずが
下を向いてずっと紙を読んで終わる
それを見ていて
私はなんとも恥ずかしい気持ちになる
今日この日に、
あなたはこの生徒たちに何を伝え
どんな姿、模範を残したのか
卒業していく生徒に対して
顔をあげてしっかりと壇上からなぜ話ができないのだろうか
時間を守るため?
教育のエキスパートが
時間配分ぐらいはできて当たり前だろうと思う
45分授業
50分授業
90分授業
いろんな時間で授業をしてきたわけだから
できないなどと言えるわけがない
卒業生代表は
しっかりと正面を見て大きな声で堂々と話をする
この姿から
在校生は何を学ぶことになるのだろうかと思う
一番上手に話をして見せたのは卒業生代表だった
15歳に50代の教授陣が模範も見せない
本来、人は
言っていることではなく
やっていることで評価される
しかし
先生と言われる人の中には
言っていることだけで評価される人がいる
だが人は知っている
評価とは
「やっていること」