対価と聞くと、ど~しても目に見える
打算的な、損得勘定のようなイメージ
がある。
誰だって、得したいし。
モノの値段も安い方がイイ。
でも、ここで言う対価は解釈が違います。
人は、心の中で、あるいは無意識では
「こうしたい」と言う衝動を持っても
常に、自我に検閲を受けます。
それをした場合の、メリットとデメリット
と言う判断です。
「こうしたい」は星座的自分の欲求。
「メリット」は社会的な自分の欲求です。
しかし、社会的な自分のメリットが
必ずしも、誰ものメリットになる訳では
ありません。
では、社会的なメリットを選んだ場合は
どんな代償を払っているのでしょう?
それは、対価として自分の尊厳を失って
いるのです。