こんにちは、旭生祐理です。

仕事の担当変更に際して、取引先の方から非常に惜しんでいただきました。もちろん、お世辞も多々あるかとは思いますが、それにしても余りある光栄な言葉をかけていただき、心底ありがたいなあと、頑張りを分かってくれていた方々がいて本当に嬉しいなあと、報われる思いでした。


自分に見えていないものがあるということをどれだけ意識し、他人の苦労や努力をどれだけ想像するか 。結局はそこなんだろうなと思うのです。

どれだけ感じよく振る舞えても、小手先の話術が上手くなっても、長く付き合う相手にはその人の人間性がバレるもの。もちろん、言動や考え方に相性(理解しやすいかどうか)は付き物ですが。



私は、率直なコミュニケーションを好むタイプなので、誰にでも好かれる訳ではありません。もちろん、取引先やお客さんに対しては別ですが。


対して旦那さんは、親戚付き合いを見ても職場の話を聞いていても、気配りを欠かさず不満を露ほども見せず、誰にも嫌われないタイプのようです。

 そんな旦那さんをすごいなとは思っても、真似しようとは思いません。私には絶対真似できません。ストレスで気が狂うでしょう(ーдー)

そして、気持ちと裏腹にひとかけらの不満もにじませてもらえない、つまり改善の機会をもらえない相手も、ちょっと可哀想だなと思ってしまいます。

同じようなタイプの人と職場で一緒になると、打ち合わせの場でも意見やアイデアを絶対言ってくれない、ということもありました。
 
でも、旦那さんにとっては、それが当たり前だし、私もどうこう言うつもりはありません。

旦那さんには旦那さんの信念や優しさがあり、
私にも一応あるつもりです。


人は、それぞれ違うもの。


親切が裏目に出ることなんてザラです。

何が嬉しくて何に優しさを感じるのかも、人それぞれ。

否定されるとわかっていて、それでも打ち合わせの時間を有意義にするため、むしろ否定されるため、会議が動くために、ドンピシャでないとわかっていながら発言する私を、それでも誰か一人くらいは理解してくれていると信じたいものです。


ただね、私は恐ろしく不器用な人生を歩んできたからこそ、同じように苦労し損してる人の味方になりたいんだなと思うのです。


今日もお読みいただきありがとうございました。