それは突然やってきました。
「あぁ・・・」
「あぁ・・・ ・・・」
と。
言葉にするならこれだけです。
そういえば、これ。
数か月前にも体験していたことでした。
その時は、なにがなんだかわからず。
ちょうど車を運転していたときに突然やってきました。
気づきというのは、いつも本当に突然です。
こちらが意図できるものではないのですね。
だから恩寵というのか??
とある方から言われた言葉にひっかかって
大事なことは、そんな表面的なことじゃなく
もっとこう・・・なんていうのかなー・・・
ん??・・・
どばばばーーーーーーー・・・!!!
涙が次々にあふれ出し、止まりません!
声をあげて泣きました。
よかった・・・車の中で・・・(笑
もう運転どころの話じゃなくて
近くのスーパーの駐車場へ入り
思う存分泣きました。
悲しみの涙ではなくて。
喜びの気持ち・・・というのか。
かつて経験したことのない
不思議な涙にとまどいながら。
涙がとまったあとに目に入ってきた世界が
なんともいえない喜びに満ちあふれていて
わたしのためにありがとう!
そう言いたい気持ちでいっぱいになりました。
そういえば・・・
この喜びをシェアしたくて
きっとこんなわたしを受け入れてくれるであろう
友達に、すぐにLINEしたなー・・・^^
それからすぐに気持ちは収まり
ふつうに戻りました。
あれは一体なんだったのだろう???
疑問をかかえながら月日は流れ、
それがまた突然にやってきたのです。
だけど、今回のはちょっと違いました。
「あぁ・・・ ・・・!!」
見落としそうなほどの小さな出来事だったけど
それはとっても大きな大きな気づきでした。
あふれ出る涙が止まらず
これまた声をあげて泣きました。
よかった!誰もいない家の中で!!(笑
しかも今回は、こみ上げる笑いつき!
なんで今まで気づかなかったのだろう!
ずーっと一緒にいたのに。
こんなに近くにいたのに。
離れたことなんて一度もなかったのに。
ひとりじゃなかったなんて・・・
子どもの頃には、ちゃんとあった感覚。
そうやって世界を見ていた。
絶対安心な居場所。
いつも守られていたような感覚。
もうどこへも行く必要がないんだなぁ。
もうどこへも行くところがないんだ。
何が起ころうとも。
何が起こっても大丈夫だということか。
胸のあたりなのか、お腹のあたりなのか。
ずしっと重い何かがあったのに
気づけばすっかり軽~くなってしまって。
見ている「わたし」と見られている「わたし」が、
もうどこにもいません。
いないというか・・・?
わたしにとっての大切な師のひとり。
(勝手にそう思ってるだけですけど(笑))
溝口あゆかさんのブログにこう書いてありました。
ようやく腑に落ちました。
「分離していない」とは、こういうことなのですね。
”愛”という表現が適切なのかどうなのか?
”愛”という言葉ではどこか違うような?
深くて大きくて、満ちあふれているような。
・・・という体験もまた、もうここにはないのです。
すべてが幻。
その体験をつかんで離さない!
という気も起こりません。
もうそれはどうでもいいこと。
ただこうして『在る』ということだけ。
それがただただ喜びなのです^^
*覚え書きとしてここに記しておこうと思います。
「あぁ・・・」
「あぁ・・・ ・・・」
と。
言葉にするならこれだけです。
そういえば、これ。
数か月前にも体験していたことでした。
その時は、なにがなんだかわからず。
ちょうど車を運転していたときに突然やってきました。
気づきというのは、いつも本当に突然です。
こちらが意図できるものではないのですね。
だから恩寵というのか??
とある方から言われた言葉にひっかかって
大事なことは、そんな表面的なことじゃなく
もっとこう・・・なんていうのかなー・・・
ん??・・・
どばばばーーーーーーー・・・!!!
涙が次々にあふれ出し、止まりません!
声をあげて泣きました。
よかった・・・車の中で・・・(笑
もう運転どころの話じゃなくて
近くのスーパーの駐車場へ入り
思う存分泣きました。
悲しみの涙ではなくて。
喜びの気持ち・・・というのか。
かつて経験したことのない
不思議な涙にとまどいながら。
涙がとまったあとに目に入ってきた世界が
なんともいえない喜びに満ちあふれていて
わたしのためにありがとう!
そう言いたい気持ちでいっぱいになりました。
そういえば・・・
この喜びをシェアしたくて
きっとこんなわたしを受け入れてくれるであろう
友達に、すぐにLINEしたなー・・・^^
それからすぐに気持ちは収まり
ふつうに戻りました。
あれは一体なんだったのだろう???
疑問をかかえながら月日は流れ、
それがまた突然にやってきたのです。
だけど、今回のはちょっと違いました。
「あぁ・・・ ・・・!!」
見落としそうなほどの小さな出来事だったけど
それはとっても大きな大きな気づきでした。
あふれ出る涙が止まらず
これまた声をあげて泣きました。
よかった!誰もいない家の中で!!(笑
しかも今回は、こみ上げる笑いつき!
なんで今まで気づかなかったのだろう!
ずーっと一緒にいたのに。
こんなに近くにいたのに。
離れたことなんて一度もなかったのに。
ひとりじゃなかったなんて・・・
子どもの頃には、ちゃんとあった感覚。
そうやって世界を見ていた。
絶対安心な居場所。
いつも守られていたような感覚。
もうどこへも行く必要がないんだなぁ。
もうどこへも行くところがないんだ。
何が起ころうとも。
何が起こっても大丈夫だということか。
胸のあたりなのか、お腹のあたりなのか。
ずしっと重い何かがあったのに
気づけばすっかり軽~くなってしまって。
見ている「わたし」と見られている「わたし」が、
もうどこにもいません。
いないというか・・・?
わたしにとっての大切な師のひとり。
(勝手にそう思ってるだけですけど(笑))
溝口あゆかさんのブログにこう書いてありました。
・・・そして、それらに気づいているのは純粋意識で、
個人のあなたの意識ではないんです。
これを個の自分の意識だと思っているのが、人類の錯覚です。
そして、それが以前にもご紹介したマイスター・エックハルトの言葉、
「私が神を見ている目と、神が私を見ている目は同じものある。」
The eye with which I see God is the same eye with which God sees me.
ですね。(この言葉大好きすぎて、何度でもご紹介してしまう。
うふふ♪)
ですから、このブログの文字を追っている目は、神の目であって、
あなた個人の目ではないんです。
(念のため、物理的な目ではなく意識という意味)
ようやく腑に落ちました。
「分離していない」とは、こういうことなのですね。
”愛”という表現が適切なのかどうなのか?
”愛”という言葉ではどこか違うような?
深くて大きくて、満ちあふれているような。
・・・という体験もまた、もうここにはないのです。
すべてが幻。
その体験をつかんで離さない!
という気も起こりません。
もうそれはどうでもいいこと。
ただこうして『在る』ということだけ。
それがただただ喜びなのです^^
*覚え書きとしてここに記しておこうと思います。
