以前、アメリカのNYに住んでいた頃、良く、街中にあるジューススタンドを利用していた。


ちょっと、体が栄養不足だなとか、風邪っぽいなと思ったときに、手軽に飲めるオーガニック野菜ジュースだ。

メニューは様々で、自分で様々に選ぶことが出来、なんといっても美味しい!



私はいつもキャロットにジンジャーやケール(青汁に使われれている野菜)などを加えてもらい、一気に飲み干す。


体が喜んでいると共に気持ちいい。


以前ブログにも書いたが、私は当時マンハッタンのソーホーでマクロビのオーガニックレストランで働いていた。


その店でもそのジュースをお客さんに作り、出していたものだった。


主に、キャロット、しょうが、ケール、赤かぶなどを使っていた。

それほど、NYではどこでも、生ジューススタンドがあり、いつでもどこでも飲むことができた。


ある日、私は、自分でジューサーを購入し、自分で自分好みのジュースをつくり飲んだりもした。


特に、オーガニックスーパーで買った野菜で作ったジュースの味は濃厚でトロっとしてておいしかった。


いつか、アヤワスカのセレモニーを受けなければならなかったとき、セレモニー1週間前に断食をせねばならず、このジュースのみで過ごし方こともあった。不思議と楽に断食をすることができた。


それから何年もして、この札幌に来て、わざわざ実家からジューサーを送ってもらって、またジュースを飲み始めた。

残念ながら、日本にはオーガニックジューススタンドなるものなど全くない。

オーガニックの野菜もバカ高くて手にはいらない。

近くの八百屋で人参とレモンでジュースを作って飲んでいる。


味はやはり、NYで飲んでいたものの方が格段に美味しかった。

こちらで飲んでいるキャロット味は一言で「うすい!」のである


やはり、オーガニックではないというだけではない。あのキャロットの独特のコクといったものがないのである。

それは、なぜか。。。最近耳にする、近頃の野菜というものの栄養価がどんどん低下してきているのせいなのではと思う。


そこらの野菜の栄養価は昔のほぼ4分の1になってきているという。

だから、生野菜でさえもいくら食べても体の栄養には程遠いのだという。


以前、栄養はサプリメントから取るよりも食物から取るべきと言わていたが、その考えがいま逆行しつつある。

食べ物に頼れなくなってきた今、またそう言ったサプリに頼らざる得ない時代がやった来たのであろうかとつくづく思う。


以前、ブログにも書いたが、私はある人から、某会社のプロティンを勧められた。理由はそれを1日分飲むだけで、栄養価がすごく高いと、いうことと、やはり、今の農作物がそう言った状態であるがために、そう言ったものが必要であるということからだった。


また、それを10年も飲み続けている人を見て私は購入に至ったわけであるが、今ではその値段の高さ、

毎日飲むにが味がちょっと、などなどの理由により、定期購入を打ち切ることにした。


でも、こういった時代、そして、今の中年期の年を迎えて、やはり何もせずにはいられないなと思うこのごろである。


今、毎日飲んでいる野菜ジュースでさえ、体が喜んでいるみたいなので、定期的に飲むことににした。。








前回書いた波動のお話の続き~


波動というものを身をもって感じ、信じ始めたのは私が札幌に来てからだった。


前回にも書いたが、私は数年前、海外放浪後に謎の病になり、横浜の実家にずっといたが なかなか良くならなかった。


根源的なものは、今も残っているが、ある波動の分かる女性のアドバイスにより、私は札幌に移住したのだった。


札幌のその女性は私の為に自分の住んでいた部屋を明け渡してくれ、私はそこに住み始めた。


女性曰く、そのアパートは波動が高いのだという。波動の数値的なものはわからないけれど、確かに部屋を一目見て、私もなんとなくそんな感じがした。


部屋に移り住んで2週間、横浜に居た頃に比べ、私の体はみるみる元気を取り戻し、どうにか昼間は日常生活を送れるようになってた。

 

しかし、根源的なものがまだあるため、夜は今でさえも苦しめられているが。。

どうにか横浜にいるときよりは、普通に生活をすることができるようになったのである。


私は、その時、波動というものは本当に存在するのだということを身をもって感じ始めていた。


だからこそ、数年前に外気功医院で使っていた波動ビデオも胡散臭いものであるが、本物だったに違いないと思ってしまうこのごろなのだ。


それはさて置き、最近、札幌の古本屋で私はある本が気になり、買った。


題名は(「ありがとう」で願いが叶う不思議な話)という本で、それを実践した人たちの体験談が書かれていた。


病、トラブル、などの不幸な状態からありがとうを唱えることによって、好転していくという、様々な体験記録が書かれており、最初は半信半疑で読んでいたが、読み進むにつれ、単純な私は、「もしかして、本当かもしれない」と思うようになったのである。


効果としては、嫌な相手への怒りがなくなってくる、恨む心が消えていく、怖かったことが少しずつ理解し始める、欲しかったものがホントに必要だったかどうか考えるようになる、などなど。。


現実的にそれを唱えることによって、その人たちが幸せになっていくものだが、どうやら、そうすることによって自分自身が変わっていくのではないかと思った。


例えば、旦那さんに浮気をされ、見向きもされなかった奥さんが、毎日たくさんありがとうを唱えながらトイレ掃除をし、半年くらいしてから旦那さんが「おまえ、変わったな」と言われ、仲良くなったとか、ウマの合わない上司にありがとうを唱えたら、その上司が配置転換で別の事業所に移ってしまったとか、嘘のような本当のお話ばかりだった。。


中でも目に引いたのは、病が良くなるというもの。。。


でも、この本に出ている体験談を総括的に考えると、おそらく「ありがとう」によって、自分の中の波動が高まるのではないかと思ったのである。


だから、体の中の悪い者を消えていくことによって、病も良くなるのではと。。。


またまた自分で都合良く考え始めた私は、早速、「ありがとう」を1日2000回唱え始めた。


まず、初日ですぐに感じたのは、半ば過ぎた頃から体がぽわーんとあったかくなって、後半には、なぜか額のあたりが眩しくなってきた。


唱え終わったのが夜中の12時半だったが、なぜか、、無償にトイレ掃除がしたくなり、久々に隅々までトイレ掃除をしてしまったのにはびっくり。。


それから、毎日続けて今日で18日目。格別変わったことはなかったが、今ケーキ屋のバイトをしていて、全く仕事のストレスを感じないこと。朝から晩まで、何に対しても全く怒りを感じないことが、大きく変わってきたように思える。


そして、今日、なんだか不思議なことがあったのだが、毎日唱えている私の選んだ言葉は「ありがとうございます」であるが、最近、札幌資料館で「マンダラアート」の展示会があり、マンダラの好きな私は見に行くことにした。


それは、ただのマンダラではなかった。


ここでその絵を載せられないのが残念であるが、マンダラの模様の中にワンフレーズの小さな文字がびっしり書かれているアートだった。


つまり、

文字で作られたマンダラ模様がそこにたくさん展示されていたのである。


ます、展示室の入口には、あの「水は答えをしっている」の水の結晶の写真が貼られていて、言葉というものが、マンダラをとおして何か見えない波動力を与える的なことが書かれていた。


その中で私が目を引いたのは、なんと「ありがとうございます」でできた大きなマンダラ作品だった。


今、自分がまさに毎日していることが、ここにあるなんて、ちょっと驚きだった。


他にも「かわいい○○ちゃん」というフレーズでできた、犬の絵でできたマンダラとか面白いものもあった。



さすが、これを作ってみようとは思わないけれど、なんだか、「ありがとう」が「ありがとう」をよんだようなシンクロを感じでおもしろかった。


「ありがとう」のマントラ、しばらく続けていこうかと思っている。


どうなっていくか楽しみ。。。










ある友人が、あるスピリチュアル系の情報誌に載っていたもので、「ありがとう」をたくさん唱えると、金運がついてくるというモノがあったという。


詳しい内容はわからないが、一般人にはない、第六感的感覚の持ち主のその友人は、「ありがとう」を暇さえあれば、ずーっと口ずさんでいたという。


私が思うに約30分で2000回くらいの計算になるので、それをずっと1日中唱えていたら、相当な回数になると思う。


やがて、日が経つにつれ、視界に光がさしてきたという。チャクラが開いてきたのだろうか?


もともと、そういった感覚の敏感な彼女は体の変化を毎日感じたという。


そして、信じられないことに、懸賞やらクジなどで思わぬお金が転がり込んできたという。

クジではハワイ旅行が当たったことがあったと言っていた。


これはすごい!とのことで、更に金運を願ってのありがとうを続けていくと、今までの金運のお返しが来たように、彼女の家族のお一人が、思わぬ病になってしまったという。


それは偶然だとも思えるのだが、彼女の感覚として、もう、金運を願ってのありがとうはやめなけらばいけないと思ったという。


なるほど、そう考えるとつじつまの合う話であるなと私も思った。


このような、崇高な魔法の言葉を自分の欲の為に利用してはいけないのだなと思った。


その雑誌の掲載の仕方もともかく、人間努力すべきところは努力なのかなと思うのである。。。



「ありがとう」のお祈りは自分のモチベーションによって、変わってくるのだなと感じた。。