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動画公開「菜の花の物語」

本日より特定非営利活動法人交通文化連盟鉄道輸送警備隊第三業務隊「北総新選組」の広報動画「菜の花の物語」」を公開致します。


菜の花の物語


北総新選組の事業で出会った、「バディ」と「ラウル」に感謝を込めて鉄道輸送警備隊執行幕僚部が企画しアルファクスが制作した広報映像です。


どうぞ皆様の御視聴を宜しくお願い申し上げます。


特定非営利活動法人交通文化連盟


制作 アルファクス(アルファクスクラフトワーク)


公開 トレインタイムス

※一部で動画と音声がズレる現象が確認されておりますが、再生画質を落として頂くと多くの場合は改善する様です。またスマートホンなどでは専用のアプリをご使用されますと解決致します。

鉄道輸送警備隊平成二十七年度十月一日期改訂編成

 鉄道輸送警備隊平成二十七年度十月一日期改定編成

(総隊49名=隊員21名/本部幕僚5名/予備18名/予科3名/査監1名/特別職1名)

総隊本部(幕僚6名/特別職1名/査監1名)=8

執行幕僚長 ※理事長事務取扱

幕僚   指令  岩崎俊太郎安房守源義将

参謀   指令補 宮本源一郎伊豆守源義護

参謀   指令補 中野二郎備後守源康継

 参謀   主任  佐藤久左衛門但馬守藤原信秀

査監       池上藤左衛門出羽守藤原法義(連盟監事)※27年07月03日改称

特別指導参与   大山格 (日本史探偵団)

 本部員  主任  中村利一郎伊賀守源智秀※27年10月01日異動

第一機動警備隊「陸将隊」(隊幕僚1名)=1

小隊長  主任  高鹿一蔵播磨守藤原貴史※27年04月02日昇格

第三業務隊(隊幕僚6名/隊員14名)=20

隊長   統括  相馬平三弾上大弼平正護(相馬万里)

副隊長  統括  稲葉作左衛門式部大輔源義尚(稲葉真琴)

参謀   主任  松山左衛門太郎伊予守源信正(松山瑞穂)※27年04月02日昇格

参謀   主任  宮城清一郎少納言藤原信佳(宮城美華)※27年04月02日昇格

 参謀補  主任補 伊葉軍兵衛治部少輔源秀将※26年05月03日昇格

 参謀補  主任補 松平小次郎内膳正源友弘(松平みどり)※27年10月01日改称

流山派遣隊(14名)

小隊長  主任補 倉科衛一郎右近将監源光将(倉科雪絵/特科兼任)※25年04月02日昇格

小隊長  主任補 高倉左門兵部少尉藤原信経(高倉早矢/特科兼任)※27年10月01日異動

      警士長 西城三郎藤原忠継(西城笑美)※27年10月01日昇格

      警士長 海野彦六源信実(海野みのり/特科兼任)※27年10月01日任用

      警士正 成瀬帯刀藤原忠美※27年07月03日昇格

      警士正 青山了次郎藤原秀成(青山史織)

      警士正 小島弥太郎平信武

      警士正 小早川十兵衛平義直(小早川舞)※25年04月02日昇格

      警士正 佐竹与一郎源忠直(佐竹一美)※25年04月02日昇格

      警士正 潮田源一郎源資直(潮田なぎさ)※27年04月02日異動

      警士  一条与四郎源晴行(一条理香)※26年03月11日復帰登録

      警士  三上藤次郎源豊総(三上美郷)

      警士  根上孫八源信勝(根上彩美)※26年06月01日任用

      警士  中郷鍬二郎平忠常(中郷美刀)※27年05月17日任用


予備隊員(総隊管轄2名/三業隊管轄16名=18名)

      主任  米沢太郎兵衛肥前守源時忠(総隊)

      主任  関口威一郎丹波守藤原光道(総隊)

      主任  前田啓一郎出雲守藤原利将(前田蘭)※27年04月02日改訂

      警士長 里見光次郎左近将監源信景※26年10月01日異動

      警士長 鈴木孫一郎源重正※26年10月01日異動

      警士長 星良二郎内匠助藤原義秀

      警士長 後藤弥一郎志摩守藤原貴久(後藤志摩)

      警士長 高城宇一郎藤原義守(=萱沼千穂/総隊)※27年05月03日改訂異動

      警士長 成田太郎右兵衛佐藤原義道※27年10月01日異動

      警士正 石田源吾左兵衛佐藤原義広

      警士正 坂本梅太郎源直秀

      警士正 本多千太郎勘解由次官藤原忠義

      警士正 上杉又一郎織部正源信忠(上杉詩綾)

      警士正 四条藤一郎采女正藤原信友

      警士正 浅野五兵衛源光信※27年10月01日異動

      警士正 長坂浩次郎源晴久(長坂星美)※27年10月01日異動

      警士  高山清右衛門平重忠※25年11月28日異動

      警士  大川利三郎平常時(大川利香)※27年10月01日異動


予科研修生徒(3名)

      警士補 栗沢史郎藤原信勝(栗沢桜華)※27年05月16日~29年03月31日予科・三業

      警士補 小山田弥一郎平重光(小山田梨菜)※27年05月18日~28年03月31日予科・三業

      警士補 馬場源吾源信基(馬場琴美)※27年05月19日~28年03月31日予科・三業

70年目の「歴史検証」4〜忘却の敵機〜

昭和20(1945)年07月15日

午前09時過ぎ

(20~25分頃の証言や記録あり)

千葉県東葛飾郡小金町大谷口

の水田に

銀色の飛行機が

「零戦と交戦して撃たれた」

「墜落と言うよりは不時着みたい」

に墜落した、と・・・

記録を探すと

米陸軍第20航空軍

第506戦闘機群第531中隊所属

ノースアメリカン式P51D型ムスタング

ビンセント・グァディアー二(Vincent A Gaudian)大尉搭乗

江戸川上空で

海軍航空隊所属

三菱零式戦闘機

と空中格闘をして被弾し

東葛飾郡の水田に

墜落と言うよりは不時着して

良好状態で軍に鹵獲されていた

との記録がございまして


この機体を流山線車内から

目撃していた方が複数おられます

が・・・・

墜落

と言うよりは着陸地点ですが

現在の松戸市新松戸北一丁目

若しくは松戸市大金平

なのは確かな様子ですが

その機体が収容?移動?

された時期は

大きな隔たりがございます

←新松戸北一丁目


「暫くあった、戦後も見た」

と言う証言もあれば

「2から3日で何処かへ持っていった」

と言う証言もありまして

おまけに

この地点がその後は区画整理され

現在は宅地とスーパー

道路などに化けたもので

痕跡を探すことも出来ないのです


POW研究会の研究報告には

この事案に関して

08月06日

としておりまして

「日本軍鹵獲機秘録」(平成14年光人社刊)

07月15日

と隔たりがございます

が・・・・

撃墜された米軍機に関する

米軍側資料は

戦後に日本政府などに照会して

捕虜死亡に関しては厳しく調査

しているものの

当該機の大尉さんは

東京憲兵隊を経て戦後帰国しており

また

鹵獲したムスタングの復元などの

記録もないし

そもそもそんな時間的余裕もない

そんな時節柄ですから

混乱もあって不思議ではございません


肝心なのは目撃者

ですが

現地に近い横須賀村

現在の新松戸北一丁目北西部

まぁ散発的に伺おうとしたところ

「流山線が襲われた時に撃墜された」

と言うお話や

「それはB29じゃ無いの?」

とか

←小金城方向


どうもこの連載で書いて参りました

一連の事案がごったにされている

そんな印象で


弊特定非営利活動法人交通文化連盟

鉄道輸送警備隊第三業務隊

北総新選組

が守備します閻魔堂に

ご来訪となった元住民の方や

地元流山根郷に御住まいの方

の証言は

かなり信憑性が高い

と感じられます


「銀色の機体がぽん、と田圃に」

「銀色だったからムスタングじゃないかな」

と具体的なのです


07月15日説であれば

その二日後には至近距離で

流山線列車銃撃がございまして

近隣で目撃者があっても良い筈

なのですが・・・・


ここで一瞬脳裏を過ぎりましたのが

「忌避」


弊連盟で

流山鴻池=

新選組本陣跡(近藤勇陣屋跡)の

観光防犯警戒を始めた頃

とにかくもそこで何があったのか

今一つ判らない

明治維新に際して

元幕府領や会津領であった

「忌避」

つまり賊軍に関与した

となりますと子々孫々に累を及ぼす

との発想から

往時の記録などを焼却し

その記憶を語らずに閉ざす

と言う自己防衛方法なのですが


これに近いものが

大久保大和守剛

(近藤勇が本名を改めた名)

慶応四年四月二十五日

現在の埼京線板橋駅前で

介錯した

横倉喜三次

の御子孫は

その手記の活字化に際して

「近藤さんの親類やファン」

に配慮して

「ごく少数だけの部数」

をご希望されたそうです

内容的には

全く大久保大和守やその親類に

名誉を傷付ける

どころか

むしろ清々しい印象すら覚える

貴重な記録ですが

ここが日本人らしい

「配慮」

なのでしょうね

(あさくらゆう先生・談)


視点は若干異なりますが

この事案に関して

直後に敗戦して

進駐軍がやってきた

と言う事態のなかで

人々は全く無意識に

本件を「忌避」してしまった

そうも思えるのです

いや

もっと言えば

「忘却」

しようとしたのかも知れません


改めてP51Dが降りた

とされる周辺を自転車で巡りますと

当時を推察出来る風景が

皆無なことに驚きます


当時の広大な水田は

現在

住宅やマンションや学校が

ひしめき合っておりまして

貧弱な道路が縦横無尽に

走るその横に

立派な武蔵野線と2支線

銀色電車や貨物列車が

ひっきりなしに往来致します


小生が小学生の頃

小金城址駅前のマンションに

叔父が暮らしておりまして

その四階の部屋の窓からは

三郷駅を出て

江戸川鉄橋を渡り

南流山駅へ停車して

更に新松戸駅へ到着する

武蔵野線電車が

はっきりと見えたもので

新松戸地区に高い建物など

皆無だったのです


四十年の時間を過ぎて

全く変貌した街を

酷暑のなか

自転車で走りまして

改めて

70年と言う時間の壁が

大きくもあり

身近でもある

痛感した次第でございます

←流山駅


ただ

忘却などしてはいけない事は

この土地も戦場だった事実

この土地にも戦火が襲った史実

そして

その狂気に満ちた行為は

人は誰もが持っている

「宿業」

なのであり

その悪業を避けるには

とことん対話する

どこまでも飾らないで対話する

為政者は

その対話こそが最終兵器なのだ

その為政者を選択する

我々民衆は

常に与野党問わず

政治を厳しく監視し

どこまでも戦禍を

「過去のお話」

とさせ続けて行かなければ

ならぬものでございます。
(常在戦場より転載)