アストロサイトーマ:腫瘍種別
この腫瘍、神経そのものが腫瘍になる。除去不能、除去=神経が駄目になる
 
毎年、MRIを同じような時期に撮る。少しの進行もないようだ。
 
しかし、麻痺と痺れと痛みは、下肢から臀部、背中、脇の下、首まで強くなってきた。
 
おまけに手のこわばりもひどくなっている。
 
 
回顧録を継続、
 
退院時はもとのアパートには帰れなくなった、会社の好意により、近くのマンション
 
4LDKを賃貸してもらい、中を改造した。バリアフリー化は大変であった。
 
玄関やトイレ、風呂、自分の寝る部屋などとくに廊下はジェットコースターのように
 
スロープをつけた。それでも、当初は少しは、立てたので何とか生活できた。
 
次第に立てなくなり、どうにもならなくなった。
 
マンションでの生活は2年ほど続く。
 
 
リハビリが開始されて、すぐ毎日が筋肉痛と肩の痛みとの闘い、そこに早朝に主治医がきて、課題は体重を落とすこと、とにかく10kgは減量しなさい。
当時74kgで手術をしたが、こんなリハビリではたして減量はできるか疑問であった。
しかし、食事をどんどんカロリーを減らす、まずは間食禁止、もちろん甘い飲み物も
禁止、しかし、入院生活で何が楽しみか、それは食べることである。
それでも、食事は小盛り付け、それを更に半分に箸で目安を入れる。そこまでを食べて、ストップする。
我慢である、ただし水、お茶は自由、これはむしろ2L以上は摂る。なぜならオシッコの管が入っており、感染防止ある。
それでも甘いものや間食が欲しくなり、一個だけ妥協、一日一杯のネスレのインスタントカプチーノと、六等分された小袋の柿の種を水分補給を多く摂るためにその時、食べる。
おそらく、一日全部でご飯は、普通の茶碗1杯、おかずも一食分くらいであった。
最初の2ヶ月は逆に体重が増加気味、であった。しかしそのご、減量しはじめ、
半年で10kgがおちた。さらに50kg台をめざし、ついに15kgの減量に成功。
退院時は59kgで退院した。
 
そのときは本当に身体が軽く、車椅子もコンパクトで腕だけで生活が充分できる、
パラリン選手にも、国体くらいはでれるかも・・・なんて、浅はかな考えであった。
 
以上は、リハビリ指令「減量せよ10kg」であった。
 
 
この病との格闘は、平成元年からである、長い22年間である、私は55歳になった。
 
今年は56歳になる。人生の円熟期を前にこんなくだらん病になり、もう停年まじかである。
 
退職後の人生なんか、考えたこともない。苦痛、痛みと痺れの格闘の日々。
 
こんな、くだらん人生、もうけりをつけてしまいたい。
 
毎日が、糞と小便の出るのもわからん身体にうんざりしている。
 
ペニスにはフォーレが膀胱まで突っ込まれ、2週間ごとに交換し、2日に一度は
 
座薬を突っ込み、ゴムの手袋で、肛門から糞をかき出す、人間らしい生き方ではない。
大抵の人間は、ペニスも肛門もこんな使い方はしない。
 
立小便がしてみたい。  思い切り遠くまで、飛ばしてみたい。
 
1分間だけ立てればいい。 パンツの中にウンコはしたくないのだ。
 
でも、出るときがある、臭いでしかわからない。惨めである。
 
車椅子は、もう自分の足である。 
 
叫んでも、しかたないことはわかっているが、納得はできない。
 
はげで悩む人が、いるが人生でそんなくだらんことで、悩むことはあほらしい。
 
両足を、失い、糞小便のわからん身体になれば、禿は、取るに足らないことである。
 
それが、わかっていれば、かつらなんて売れない。
 
人間は馬鹿である。欲望は限りない。それが、人間である。
 
それでも、この先希望は、  見えない、絶望の人生、痛みと痺れの人生。