高円宮家の長女 承子さま 岩国で高校総体アーチェリーを観戦

NHK 山口県のニュース 配信より

 

高円宮家の長女 承子さま 岩国で高校総体アーチェリーを観戦|NHK 山口県のニュース 配信より

 

高円宮家の長女の承子さまは、8日、山口県を訪問し、岩国市で全国高校総体のアーチェリー競技を観戦されました。

承子さまは、全日本アーチェリー連盟の名誉総裁を務めていて、8日、全国高校総体のアーチェリー競技が行われた岩国市の陸上競技場を訪問されました。

承子さまは、男子と女子の団体の試合を観戦し、競技に集中する選手の姿を見守られました。

表彰式にも出席され、男子、女子ともに団体戦で優勝した大阪の近畿大学付属高校の選手に賜牌を贈られました。

そして、承子さまは「皆さんがそれぞれの目標を達成するため、仲間とともに日々積み重ねてきた経験は、『開け未来の扉 中国総体 2025』の大会愛称にふさわしく、まさに皆さんがみずからの未来を切り開くための生涯かけがえのない財産になるはずです」と、おことばを述べられました。

ことしの全国高校総体は、中国地方5県を中心に開催されていて、山口県は、アーチェリーのほか、卓球やバドミントンなど6つの競技の会場になっています。

 

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承子女王

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 配信より

 
承子女王
高円宮家

2011年(平成23年)1月2日 撮影
新年一般参賀にて

続柄 高円宮憲仁親王第1女子

全名 承子(つぐこ)
身位 女王
敬称 殿下
お印
出生 1986年3月8日(39歳)
日本の旗 日本東京都港区 愛育病院
父親 高円宮憲仁親王
母親 憲仁親王妃久子
栄典 宝冠牡丹章
役職 全日本アーチェリー連盟名誉総裁
日本スカッシュ協会名誉総裁
 
称号:女王
 
敬称 殿下
Her Imperial Highness the Princess
皇室





 

承子女王(つぐこじょおう、1986年昭和61年〉3月8日 - )は、日本皇族

 

勲等宝冠牡丹章身位女王敬称殿下[1]お印(はぎ)。

 

第126代・今上天皇(徳仁)再従妹(はとこ)にあたる。

 

第123代大正天皇ひ孫高円宮憲仁親王同妃久子の第1女子[2]。妹に千家典子(典子女王)と守谷絢子(絢子女王)がいる。学位学士(国際教養学)

 

現在、存命中かつ皇籍離脱していない皇族14名のうちのひとりであり、天皇の血を直系で受け継ぐ男系皇族(親王内親王女王)8名のうちのひとりである[注釈 1][注釈 2]

略歴

生い立ち

お印に選ばれた

高円宮憲仁親王同妃久子の第1子(長女)として、1986年(昭和61年)3月8日に祖母の崇仁親王妃百合子が総裁を務める社会福祉法人恩賜財団母子愛育会総合母子保健センター愛育病院にて誕生した。

 

松濤幼稚園に通い、学習院初等科女子中等科女子高等科を経て、学習院女子大学国際文化交流学部に入学する。この間、学習院女子高等科在学中の2002年(平成14年)10月、父・高円宮憲仁親王と死別した。2004年(平成16年)4月13日から犯罪心理学などを学ぶためにイギリスエディンバラ大学へ留学した。エディンバラ大学留学前からホームステイしながら語学研修を行っていた。エディンバラ大学の勧めもあり、2005年(平成17年)3月に学習院女子大学を中途退学して、エディンバラ大学人文科学・社会学部に本科生として入学。

 

2006年(平成18年)3月8日に成年を迎え、天皇明仁(当時)から宝冠牡丹章を賜った。以後、成年皇族として宮中行事や祭祀に出席している。

 

2006年(平成18年)、ルクセンブルクアンリ大公マリア・テレサ大公妃の銀婚式の記念に対しての祝辞で、承子女王が皇族の代表をした。

 

2008年(平成20年)7月1日にエディンバラ大学を中途退学して、イギリスから日本に帰国した[3][4][5]

 

2008年(平成20年)、米経済誌「フォーブス」が特集した「20人の最もアツい若い王族たち(The 20 Hottest Young Royals)」の15番目に承子女王が選ばれた。これは、若い未婚の王族の中から「王室の所有財産だけでなく、国際的なインターネットやメディアでの影響力」も視野に入れたランキングであった[6]

 

2008年(平成20年)9月21日早稲田大学国際教養学部に編入学ではなく、1年生として入学した[7]

成年皇族として

2011年(平成23年)5月、母・憲仁親王妃久子とともに東日本大震災で被災した宮城県亘理郡亘理町を訪問し、海上保安庁第二管区海上保安本部を訪れ視察した後、母・久子妃が名誉総裁を務める公益社団法人日本水難救済会[8]の地方組織 宮城県水難救済会を訪れ、死没者への献花を行う他、同会所属救難所員への見舞いの言葉をかけるなどの活動を行っている[9]。また、8月には西武百貨店池袋本店で行われた第26回東京都障害者総合美術展に母と出席し、表彰受彰者とともに写真撮影に臨むなどの活動を行っている。

 

2013年(平成25年)3月26日、早稲田大学国際教養学部(副専攻:生命科学)を27歳で卒業した。宮内庁3月4日の発表では「進路についていろいろお考えになっておられる。」とされていたが、3月15日の発表で、公益財団法人日本ユニセフ協会常勤の嘱託職員に決まったことが明らかにされ、4月から勤務する。

 

2012年(平成24年)、日本スリランカ両国の国交樹立60周年を迎える年にあたり、翌年2013年(平成25年)8月マヒンダ・ラージャパクサスリランカ大統領(当時)の招待により、スリランカを訪問した。また、承子女王はシラーンティ・ラージャパクサ英語版)・大統領夫人(当時)からも歓待を受けた[10]

 

2014年(平成26年)7月、日本ユニセフ協会の用務のため、ベトナムへ出張。

 

2018年(平成30年)1月に公益社団法人全日本アーチェリー連盟名誉総裁、同年2月に公益社団法人日本スカッシュ協会名誉総裁に就任。

年譜

2009年(平成21年)1月2日、新年一般参賀にて
以下 内容は、省略しています。